弁護士会について

昨日から「弁護士会」というものに疑問を感じている。「弁護士全体の意見を反映する」会なのだろうか。「弁護士会としてはこう感じている。」みたいな。「裁判官会」や「検察官会」がないのは、あるのかないのかわからないが、あったらあんまりよくないかもしれない、というのはわかる。それでもなんとなく裁判官同士の同期の飲み会とかで「俺昔間違っちゃったんだよね。」とポツリと呟く光景が浮かぶ。もちろんそんなことはないのかもしれない。ただ弁護士が会を開くということは「この法律はこういう解釈でいいよね?」と何人かが意見を合わせているようなイメージを抱く。果たしてそんなもんでいいのか。100人いたら100人分の解釈があったほうがいいのではないか。そのほうが人間の多様性を守れるのではないか。いざ裁判になってみて「○○法○○○条第○項の規程により…」検事「いや。それそんな法律じゃないよ!」「いや。僕はそう思いません。」みたいなほうがよっぽど人を守れるんじゃないだろうか。談合は結局いじめを招くのだ。引いては子供たちにも談合といじめを招いている。そう感じた。曲がりなりにも法曹ではないか。弁護士会に入っていない弁護士もいるかもしれない。ちょっと変わった金の取り方をしていてさしもいい仕事ができなかったかもしれない。むしろ全然赤字かもしれない。だがそれでいいではないか。自分の意見を持ってないのは弁護士として致命的だ。

超弦論とE=mc^2

我ながらなかなか魅力的なタイトルだと感じる。超弦論の話を人にしようと思っても「そもそも相対性理論がわからない」というところに人は壁を感じてしまうのではないだろうか。最近は芸人さんでも「アインシュタイン」とかバンドでも「相対性理論」とか、そうでなくてもわかりやすく相対性理論を解説してくれるような動画もたくさん出ていて「偉人」であるがゆえに「変人」だといったようなゴリゴリの壁はなくなって「よくわからないけどたぶん偉人」ぐらいのポップな感じに受け入れてくれる人が増えていると思う。だいたい「俺は偉人だ。」みたいなスタンスは良くないのではないか。ショッピングモールでも「イオン」とかが普通に使われていて我々は「イオン」「アインシュタイン」「相対性理論」などを違和感なく耳に入れるようになった。実際あんまり毛嫌いしないでほしいと思っている人も増えた。

ところでタイトルの「超弦論」を一言で言ってしまえば、みなさんもよく聞く話かもしれないが「相対性理論」ともうひとつの考え方として「量子力学」がある。それでいて「量子力学」は「相対性理論」とあまり相性がよろしくないといった話だ。おおざっぱに言ってしまえば「量子力学」は「確率」で、「相対性理論」は「距離」である。「距離」と「確率」というあまり「同じように計れそうにない」ものをなんとか同じように計りましょうという試みが超弦論だ。

話は最初に戻るが、私も、たぶん他の誰かも「超弦論の話をされても、そもそも『じゃあわかりやすく説明するよ?』って話を始めた「相対性理論」がそもそもわからない。」ところで「普通の人であろうとする」努力を置いてきてしまうのではないか。だか私は諦めない。まず「量子力学」なのだが、これは先ほど話したように「確率」の話なのだ。つまり値としては「1」なのだ。なんとなく「距離」と全然違うものでもないような気がしてこないだろうか。ちょっと話を拡げてそのまま「距離」を「拡張擬距離」にしちゃいましょうよ。そしたらそんなものが現実になるかもしれないじゃない。それとあと置き去りにしてきたもうひとつタイトル「E=mc^2」だ。何度も見ているこれが相対性理論と何の関係があるのか。「E」はエネルギー。「m」は質量だ。ここでだ。話をちょっと変えて1/2mv^2としてみよう。「m」は相変わらず「質量」だとしていいでしょう。問題は「v」なのだが、これを速度としていいだろう。つまり1/2・質量・速度^2ということだ。これを「エネルギー」としていいだろう。つまりE=1/2mv^2。「v」は「速度」であるので「c」としても良いだろう。E=1/2mc^2。さてだいぶ目的とする式に近づいてきたが、両辺を2倍してみよう。すると、「2E=mc^2」。2Eはエネルギーであるので、ここで「2E」を「E」としてもいいだろう。はなから1/2E=1/2mv^2としておいてもよかった。ここで我々はE=mc^2を手にする。我々はなんとなく相対性理論を「ちゃんと説明できないから嫌だ。」と偉い方に偉い方に考えてしまっていないだろうか。まあ俺はこんくらいに考えている。それでいいのだ。以上。パワーワードを使ったお話でした。

アイゼンシュタイニオイド

望月新一教授の論文がプリムスに掲載されることになったのが4月で、5月に入ってから「飛躍がある」との反応が出た。望月教授のホームページを見れば論文が読めるが、ちゃんと読んではいなかった。というのも「紙の本で読みたい」との思いからプリムスの雑誌を買おうと「PRIMS Mochizuki」などと検索していたりしたからだ。マックは息子が使っているし、長い論文を画面で読んでいると枝折りを挟むことができない。だがしょうがない。スマホで読むことにした。加藤文元さんの本は読んでいたので「ホッジシアター」が出てきたときはふむふむと思った。フロベニオイドもこのくだりで言えば自然な考えだとも思った。フロベニウスをグズグスに崩している。ホッジシアターに関していえば私がホッジ予想について抱いている気持ちとまんまと言っていいほど同じイメージであった。飛躍があると感じるのも無理はないほどモーデルファルティングスのときの高さ的なやり方とは程遠い。ニュー言語のオンパレードだ。だが完全に自然な考え方だ。

だが私は感じでしまったのだ。「ホッジに触るな。」と。宇宙際タイヒミュラー理論はその大きな一歩に過ぎないんだろうと。というよりはホッジシアターなのでむしろ「見て」しかいない。それこそホッジは遥かに美しくなった。そこで私は考えた。アイゼンシュタイニオイドもあるのでは?と。私のイメージではホッジは痛みを伴ったキリストなのだ。「6」はなんだか仏像にむしゃぶりついた何匹かの餓鬼がいるアイスを誰かが舐めているようなイメージだ。むろん仏は怒らない。だが私は「6」を完成させたい。アイゼンシュタイニオイドがあればそこに近づけるのでは?それは水かもしれない。そしたらホッジは全てから解き放たれて世界中に溢れる。

とまあこんな理念を語ったところで太陽の寿命はあと50億年ぐらいと言われている。なんか燃え尽きてしまうと言われると怖い気もするが我々がソーラーシステムを飛び出す日もそう遠くはないだろう。エントロピーを度外視すればポケット太陽だって作れちゃいそうだ。だが我々が生まれた地球での想いを忘れてしまったらそんなに遠くまではいけないかもしれない。太陽よりも大きな存在を我々は神と呼んでいるとモハマドさんは言っていた。過ぎたるは及ばざるが如しと孔子は言う。新しい生活様式、ステイホームの今ならコンビニに歩いて行く途中の草もかわいいではないか。

クインティックシックスフォールド

現在の物理の枠組みと言えばクインティックスリーフォールド。5→3→4の枠組みと言える。だが現実問題リーマン予想が解かれていないので「2」自体もそもそも何だか分かっていない状況だ。自然数素数複素数、整数、有理数、冪根などを使ってなんとか関数を表現している。そんな中で「双対」という言葉で「4」を評価しようとする。我々の世界はそんなもんだろうか。ケーニヒスベルクの橋の問題に代表されるような「一筆書き」グラフ理論の問題も「モノポール」の問題も「加速定理」によりNP→Pのように内部の問題が整理されていくと同時に外部の問題が広がっていっているように見える。そこでクインティックシックスフォールド。文字通り5→6→4のように問題を解いていく。これは3を6のように正二面体として捉えることにより流体や臨界の現象についての結果について順次組み込んでいけるようにする。それと同時に2についても閉じているか開いているか検証することにより4を構成できるかも。引いては2についても見識を深めていけるかもという枠組みである。つまりは「ワープポイント」をたくさん設けてブラックホールの「内部」が宇宙全体を覆うようにするといった具合だ。こうすることで光が最終的にブラックホールに落ちていかないようにするという作戦だ。正二面体は整数と幾何ということになろうか。いずれにしても整数に関しては宇宙際タイヒミュラー理論という大きな大きな進展があった。これの幾何についても現物理での応用が待たれる。

ああ愛ちゃん。いぬも。いぬもかわいいけんうさこもかわいいばい。うさこはお餅も突けるとよーーーーお。https://youtu.be/aYFZ19jqtMEぺったん。草ーーーあ!\(ToT)/ぺったん。草ーーーあ!\(ToT)/ぺったん。草ーーーあ!(´༎ຶོρ༎ຶོ`)もういっちょう!草ーーーあ!(´༎ຶོρ༎ຶོ`)ありがとうございましたー。

アルティン層をさらに分けれそうな気がする。層的に「根」がガウス類、ランダー・パーキン・セルフリッジ類に対してホッジ類、バーチ・スウィンナートン=ダイアー類とか。右とか左とかはないとか。つまり右と左を無茶苦茶に分けていくと極限として光の速さが0になるとか。そしてその極限をみんなが持っているとしたらどうだろうか。それが平均的に「○」このような像になるとか。まあ人間の場合は。植物の場合は一辺倒に「↑○」こんな感じで。虫は「∨」こんな感じだとか。いずれにせよ系外の見え方について我々は知らなすぎる。「°」こんな光が見えることもあるかもしれない。我々のこの生物体でだ。そこに進んでいきたい。

https://youtu.be/WMOwlMLmeCI

https://youtu.be/6T65Qi8ccDg

パンツの3つの穴はどれも等しい。

パンツの3つの穴は位相的にはどれも等しい。普段持っているパンツを120°回して見て欲しい。そうすると腿を通す方が上にきて腰を通す部分が少し大きな穴だけだということに気づくだろう。つまりパンツの3つの穴はそれぞれ「右脚」「左脚」それと少し大きな「第3の脚」ともいえる胴体部分の「3つの脚」をすっぽり通すだけのものだということにお気付きになられるだろうか。つまり別にパンツは「上から脱ぐ」ことも出来るのだ。地に足を付けている私たちは「地球がパンツを履いている。」ともいえる。足を上げずにパンツを脱ぎたければ地球を割ればいいのだ。ブラックホールだったらブラックホールを割らなければならない。モエモエキュンと同時に頭をカチ割られたとしてもドバッと赤く染まったオムライスをおいしく頂かなければいけないと言っている程度の事だろうか。むしろ顔面ごといくので手は洗わなくてよかったかもしれない。むしろケチャップはトマトからできているので「トマトでいい。」と言うべきだったかもしれない。流体や臨界現象に関して考慮すべき第一原理かもしれない。以上。アイゼンシュタインコクセターに関する考察でした。

あたりまえかもしれないけど金は無限に持ってる。

1と自然数を定義することで1^n=1を定義することができる。ここで1+1=1とすることができる。すなわち1+1=1^n。つまり2はこの演算を超越している。ここで新たな演算として「+」を定義することで1+1=『何か』を定義できる。この「何か」を『2』と表記することにすると2は「何か」を定義できる。これを「」と定義すると二つの円の比としてeとすることができる。「」はトーラスでなければならない。自然数を「等しい距離空間」とすると円筒半直線となるのではないか。すなわち「2」は「半体」である。自由エネルギーがそもそもどんな形をしているかわからない。それは自由とは言わない。〈期待値〉を決められない。「それはド・ラームコホモロジーであろう」と期待値を狭めることしかできない。大きな光の波とも見えるが。不可能であろう。我々はブラックホールの中にいるのではないか。銀河を「2素」として系外に出ると、例えば系外は主線織面がアイゼンシュタイン的あるいはエルミートアイゼンシュタイン的であってニュートン的なものとアインシュタイン的なものが像を結ばなくなるのではないか。測地線としてここで設計された機体はこの場合はすなわち2つに割れる。生物ならばなんとかなるかもしれない。植物のダイナミックな遺伝子レベルの変化とか。「手」と「頭を含む体」とでは粘性解が違うとか。2つのアトラクターを「」(エル)」(ニュートン的なもの)、「「(ゼロ)」(アインシュタイン的なもの)と置いて誤差を評価していくようなIUTの活用もあるのではないか。すなわち第2太陽まで半体を運んだとき誤差をトーラスに留めるというような測地線だ。「何重か」IUTを用いるかもしれない。「素口線」などと呼べば「何か」=素口線→第2太陽かなあ。なんてね。うまあい。俺うまあい。俺自分でサングリア作ったことないなあ。4を認めて2を得る。するとeを得る。球面定理よりe=πとなる。自然数(測地球)はeをスライスする。下記のように対応する。

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ルベーグの収束定理から自然数を、

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とすることができる。これは機体が破損しない測度である。それを強打みたいな。0強打。ブラックホールを地球で抑え込んだとも言える。なんて。ブラックホールは全て異なるがここでは同じとした。測地球体の重さを「見る」と当然地球のテンションは増す。後記は前述の「ϑリンクと放爆構造」に譲る。

三角関数ではデルタ関数を表現できない。

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円積問題が否定的に解かれたことから。幾何的に2^2=4と単純にしてよいのか。イジングモデルとしてしかπを表現できないのでは?つまりトーラスとしてしか。つまりe=πである。ここからピンチング弦条件により1+1=△=3である。