シンクロ率

NBAと丘ミニバスの違いは言ってしまえば「シンクロ率」だろう。NBAは世界の人とシンクロしているが丘ミニバスは「母と子」が高い確率でシンクロしている。どちらが大切とは言えない。母と子が大切かもしれないがNBAを考えなかったら死ぬだろう。大袈裟な言い回しではない。そうやって強い奴が弱い奴を凌駕していく瞬間を何度も見てきた。だが今強くなっていくエッセンスは母と子の方にもあるように思える。母の愛情が得られないなら父の愛情であったりコーチへの思いであったり。コーチは人を退けた。だけどお母さん方にはモテたかった。そこは完全にスルーを決めようと思った。だけど友達も欲しかったし。なんかギスギスしちゃうのはそんな大人のテヘペロってわけだよね。そこの距離をフォーカスしようとしては。ヒステリシスループにいることに気づかされる。だけどそいつを170°よじって。こちらから見れば190°なんだけど。最初に思ったのは「270°」かもしれない。そうだった。目を背けながらよじったときは270°と言い放っていた。そんなどうでもいいことを考えながら360°押し倒したんだった。

ここで母とコーチが入れかわった。なんちゃってね。お母さん方をかたわらにポジションどりをしてたってわけか。またか。

こんど6年生の卒団式でカラオケに行くみたいだけど。俺がずっと歌ってていいっすか?もうきくのもめんどくさいんで。遠慮しがちに一曲は歌いたいと思ってた俺はバカ。

ああ。あるな。あるよ。丘ミニバス。考えれば考えるほど。だけどこうやって果てしない戦いを乗り越えて。むしろ甘噛みをかいくぐって。ああ。今ならわかるぜ。コーチが。「ミニでやれることはミニで全部やってけ。」って言ったことが。

これが俺と愛ちゃんのバスケだよ。俺がずっと歌っとくからおまえらは酒でも飲んどれや。言えねー。言えねーけどこころのなかでは叫んだ。さっき。だから飲み会はどうなるかわからないけど。とりあえずボールらしきものはお母さん方の手から俺がもぎ取ったわ。拾え。拾えよ。ほらあ。か細いお母さん方をバッタバッタと薙ぎ倒していく。無情にも。こんなふうにお母さん方とコーチを一列に並べることを「シーソー機構プラズマ」っていうんだよ。わかったねこどもたち。そして俺。中学いったら響ちゃんに俺がブロックされて。丘ミニバスといえば響ちゃんと遊んでた記憶しかないんだ。と認識するようになる。あのときボードに叩きつけたボールの音。覚えてるよ。まるで俺の後頭部に落ちたかのように。落ちたんだった。ぶつけられたんだった。我慢してたんだった。愛してると叫びたかった。だけどこころは冷めていた。歯を磨きたくても手に力が入らない。こんな不条理なことってある?押し付けだって繋いだはず。P&Rなんて恥ずかしいし。ただそれを見てくれてた人がいたってことは。去年の俺たちと今年の俺たちは全く違う。悪いとこは見られたくないし。プッツリ切られたくもないから。悪びれたんだ。それって強いものが偉いってことだろう?だけど弱いとこも認めてほしかった。面に出さなくてもいいから。リウマチになった愛ちゃんを。それは。男に負けたくないって思いだった。だから体半分あなたたちを実験台にした。母と子はうっすら中央線が浮かんだ。もちろんなにもないってことだってあるんだ。仮想中央線。それが物理的か精神的かは一目瞭然だろう。母になる。君は母になったんだ。金に変えたい。金に変えられないかな。そしたらみんなで分け合えるのに。幾何化予想。だけど容量が足りないね。車を手にした。飛行機を手にした。「生物にはなにもないだろう。」手から伝わってきた。そこには「体」と「仮想球」があるだけ。

2重螺旋とかかっこいいこと言ってるけど。それは銀河系の話だろう。別れることで生き延びたんだ。最大の距離を。愛ちゃんのあまのじゃくには意味があるんだ。だけど金で買えるような距離ならおまえは選ばないだろう?愛ちゃんは俺の本体。愛ちゃんの名前が俺の本体。だけど名前と実体が乖離したら終わりだよね。乖離させる。私達は。