アトラクターの差は顔か。

生物学に熱力学を当てはめるという考え方はかなり普遍性があるように感じる。熱平衡というものがあって差は平衡にむかっていく。階層性熱力学というものを考えたい。ここでいう熱はただの熱という一面もあるが具体的には「落ち着く状態」ということである。生物には(原子。単一の分子として存在するものとして。ただ人間の思想を考えれば明らかに量子。はたまただだの数学なども。)分子・細胞・個体・生態系という階層があってただ一つの系で平衡を定義することはできない。その階層に対しての平衡が表立って現れるものとして動物(植物も。)の「姿」というものがある。特に人間に限って考えた場合、その平衡の現れは「顔」に出ているという節があるだろう。笑った顔。泣いた顔。そのひとつひとつの積み重ねの結果として「普段の顔」に出ているということである。もちろん顔のあり方も一週間で見た場合、一年で見た場合、一生で見た場合と移り変わりはあるだろう。姿、特に顔がその人の持つ「平衡の現れ」であると言えるだろう。だけどどうだろう。我々は同時に「二つの顔」に惹かれることがあるんじゃないだろうか。具体的には二人の人間であるが、要は、「こっちの顔も好みだけどこっちの顔も好みだ。」というジレンマだ。これは熱力学的平衡に対して、「同じ次元で二つのアトラクターを持つ」と言えないだろうか。

これは私の持論だが、「生物は(生命は)「差の間」に生まれる。」と考えている。つまり非平衡状態そのものが生命なのだ。人は普通「永遠に変わらないもの。特に愛」を求めるだろう。だかその一方で「同時にいくつものアトラクターに引っ張られている」のだ。それがよく出た芸術作品はピカソに代表されるキュビズムだろう。女がこちらを見ている顔の半面はポーカーフェイスで半分の横顔が「出してくれ」と叫んでいるあの絵だ。同時には表情しえないこの表情が視覚的に見えていたピカソは、精神科医いわく「苦しかっただろう」。だが最大に引き裂かれているこの「強いテンション」をうまくやれる人間が「すごい人間」、具体的には「立派な政治家」なのかもしれない。ポーカーフェイスで叫んだこともあるかもしれない。

話は逸れたが、要は人間ってイケメンが好きだよね。