コカイン、カート、植物人間

ドラッグストアーの駐車場に植えられた双子葉低木を見やる。温和な気候に照らされて幸せを謳歌しているように思える。まるで植物たちの理想であるかのように。タイガに生えるイトスギ、ギラギラの太陽に照らされたクロツグ。彼らは笑って見ているだろうか。この幸せな街路樹を我が子のように。体の中に幸せを満たしているから我々をその世界に誘うのだろうか。

昔はよく林で遊んだ。小学校の頃の話だ。むろんそれ以前にも原っぱで遊んだ。茂みの奥に入ろうとしてギザギザの葉っぱで腕を切った。しんみり痛くてその傷を見やると血管はジンジンしてくる。血圧が下がっているのだ。ダニの牙のように自らが破裂するまで喰い付いてくる。恐竜が茂みの中に潜んでいる。

家族で山にも登った。小さな岩場の山頂で写真を撮った。その写真は見た事がない。細道で足を滑らせて兄に捕まれた。枝で腕を切った。長袖は脱いでいたのだ。「行きはよいよい帰りは怖い」と母は言っていた。

我々は植物に囲まれて生きている。それは疑う由もない。コメもモロコシも我々をその世界へと誘う。悲しいような。嬉しいような。ラフレシアは「ハエとシロアリとアリとブドウの花」一概にはそうとは言えないが彼らの世界の中にその世界へと誘う甘い香りを放つ。我々には便所の臭いかもしれない。

植物が我々を支配しているのか。でも我々は生きたい。彼らは我々を見て笑っているのか。風を介して声が聞けるかもしれない。いずれにせよ我々は幸せな街路樹に太陽と風を感じて肌を寄せているのだ。こんどは我々が彼らの親になってもいいのではないか。子供の頃遊んだ密林に息を吹きかけてみる。いや兄弟でもいいんだ。