速度は「粘性」か。光速の粘性とは。

速度は粘性か。

→粘性を伴わない速度はない。

→速度は粘性である。

空気中の移動が粘性を伴うのはいうまでもない。問題は「光速で移動するもの」についても「速度は粘性である」と言えるかどうかだ。アインシュタイン計量の中を進む物体は絶えず時空を変化させながら進んでいく。これは相対論的流体力学であるが、私が議論しているのは宇宙全体を一続きの連続体として記述できるかということである。時間閉曲線があったとしても無限コクセター群は必ずしも鏡映群として表現されるとは限らない。有限コクセター群は必ず何らかの鏡映群として表現できる。それにつけても我々の意識は宇宙をあっさりと横切るのだ。我々の意識は高々「3次元の歪み」すら思い描くことが出来ないが、この点では「3次元以上に高等なもの」であることが証明されるだろう。この意味で物質にこだわることはないが、強いていうなれば「iPS細胞を用いて直接的に「精神」を作り出すことはできない」ということが証明になろうか。

これを考えると最初に記述した「粘性を伴わない速度はない。」の仮定が怪しくなってくる。このあたりは最近考えた「スペクトルエンタングルメント」の研究を進めるしかないが、究極的に考えれば我々の行動は「粘性を伴わない速度を求めた結果」であるとすら言えるのではないだろうか。無限を有限のものを使って表すこと。つまりは「1,2,3,4次元がそれ以上の次元を持っても滑らかに繋がっているか」「アインシュタイン計量を2つ以上の宇宙際幾何に拡張できるか」ということである。