エディントンのイプシロン。クロネッカーのデルタ。イマジナリーナンバーアイは同格。

どれくらいの数学を目指しているか。数学を作るとなったら数学の構造を壊さなければならない。層といえば層になっていてもし我々生物の誰かが卵を割って生まれたらいきなりビルの屋上にいて翼の概念をもたなかったとしても高さの中をエスカレーターでもって層を下ることができる。ヤンキーだ。パチンコだ。ニューヨークだ。銀座だ。シンガポールだ。エディントンのイプシロンだ。クロネッカーのデルタだ。イマジナリーナンバーアイだ。そんなエスカレーターが層だと思っている。この層を滑らかに繋げるとしたら標記のようにエディントンのイプシロンクロネッカーのデルタ。イマジナリーナンバーアイは同格だと言えるのではないか。ある程度数学に馴染んだ人であればとっくにそう思っているのではないか。だがどこか我々の意識の中にイマジナリーナンバーアイは特別なものだという意識がないだろうか。そんなことはないだろう。エディントンのイプシロンクロネッカーのデルタもイマジナリーナンバーアイと変わらないかそれ以上に現実世界では作用している。それを言ってしまえばルジャンドル変換だって作用している。それが層になっている。このように層を意識するとかなりマニアックな算術がエディントンのイプシロンクロネッカーのデルタを入れ替える。あるいはクロネッカーのデルタとイマジナリーナンバーアイを入れ替える。我々の感情も。体も。生も。死も。マルチユニバースを考慮するにあたってこういった意識が。つまりエディントンのイプシロンクロネッカーのデルタとイマジナリーナンバーアイが同格。必要なのではないかと思った。車は恐竜の卵に似ている。殻を割って出てくる私たちを恐竜は嬉しそうに見ている。