デュオデクテット (12) 則〜遷移金属中心

化学において、混成軌道(こんせいきどう、英: Hybrid orbital)は、原子価結合法において化学結合を形成する電子対を作るのに適した軌道関数(オービタル)である(これを原子価状態と呼ぶ)。混成(hybridization)は一つの原子上の原子軌道を混合する(線型結合をとる)概念であり、作られた新たな混成軌道は構成要素の原子軌道とは異なるエネルギーや形状等を持つ。混成軌道の概念は、第2周期以降の原子を含む分子の幾何構造と原子の結合の性質の説明に非常に有用である。

原子価殻電子対反発則(VSEPR則)と共に教えられることがあるものの、原子価結合および混成はVSEPRモデルとは実際に関係がない[1]。

分子の構造は各原子と化学結合から成り立っているので、化学結合の構造が原子核と電子との量子力学でどのように解釈されるかは分子の挙動を理論的に解明していく上で基盤となる。化学結合量子力学で扱う方法には主に、分子軌道法原子価結合法とがある。前者は分子の原子核と電子との全体を一括して取り扱う方法であるのに対して、原子価軌道法では分子を、まず化学結合のところで切り分けた原子価状態と呼ばれる個々の原子と価電子の状態を想定する。次の段階として、分子の全体像を原子価状態を組み立てることで明らかにしてゆく。具体的には個々の原子の軌道や混成軌道をσ結合やπ結合の概念を使って組み上げることで、共有結合で構成された分子像を説明していくことになる。それゆえに、原子軌道から原子価状態を説明付ける際に利用する混成軌道の概念は原子価軌道法の根本に位置すると考えられる。

ライナス・ポーリングは初め、メタン (CH4) といった分子の構造を説明するために混成理論を開発した[2]。この概念はメタンのような単純な化学系のために開発されたが、後により幅広く応用され、今日では有機化合物の構造を合理的に説明する有効な経験則であると考えられている。

混成理論は、分子軌道法ほど、定量的計算には実用的ではない。混成理論の問題点は、配位化学や有機金属化学において結合にd 軌道が関与する場合に特に顕著である。遷移元素化学において混成理論を用いることは可能であるが、一般的に正確ではない。

軌道は分子中の電子の挙動のモデル表現である。単純な混成の場合は、この近似は原子軌道に基づいている。炭素や窒素、酸素のようなより重い原子では、2sおよび2p軌道が原子軌道として用いられる。混成軌道はこれらの原子軌道の混合としたものと仮定され、様々な割合で互いを重ね合わせる。混成理論はこれらの仮定の下において最も適切であり、ルイス構造と等価な単純な軌道の描写を与える。混成は分子を描写するのに必要ではないが、この描写をより簡易に行うことができるようになる。

炭素の基底状態の電子配置は[He] 2s22p2である。そうすると原子価状態の軌道関数の特性から炭素の結合には2s軌道に帰結するものと、2p軌道に帰結するものの2種類存在することが示唆される。しかし、実際にはダイヤモンドの結晶構造やメタンの構造からは1種類の結合しか存在しないと考えられる。

元々、原子価結合法では水素分子の全電子の状態を表す際に、原子軌道の状態の重ね合わせを原子軌道の一次結合で定式化した。この場合も原子価状態の軌道関数も、2s軌道と2p軌道の重ね合わせで生成する混成軌道関数で定式化することが可能である。そして実際には、混成軌道関数で表される原子価状態は共有結合の方向性とも矛盾しない。

混成軌道の定式化には色々な組み合わせが可能であり、生成した混成軌道は基となった原子軌道(s軌道、p軌道)の名称を使って、sp3軌道(関数)、sp2軌道(関数)、sp軌道(関数)、spd軌道(関数)と呼ばれる。

そして、重ね合わせが可能になるためには原子軌道のエネルギー準位が同程度であることが必要な為、もっぱら主量子数が同じ原子軌道間で混成軌道が生成する。そしてd軌道などについては同一主量子数の軌道よりも、1つ主量子数が大きい原子軌道の方がエネルギー準位差が小さいのでそちらの方の原子軌道と混成することもある。

このように第2周期以降の原子は複数の混成軌道を取ることができ、有機分子や金属錯体などの分子構造の多様性をもたらしている。しかし実際の分子では必ずしも理論的な混成軌道とは異なる結合角を取る場合も多く、非共有電子対が混成軌道に及ぼす立体的な影響は原子価殻電子対反発則として知られている。

原子価殻電子対反発則(げんしかかくでんしついはんぱつそく、valence shell electron pair repulsion rule)は、分子の構造を最も簡単に推定する方法の一つである。電子対反発理論(でんしついはんぱつりろん)やVSEPR理論と呼ばれる場合もある。

この理論は1939年、槌田龍太郎によって提唱され、その後これと独立にナイホルムとガレスピーが発展させた。

原子価殻電子対反発則の基本となるのは「原子価軌道上の電子は相互に反発し、電子対はその反発が最も小さくなるように配置する」という考え方である。(電子は電子軌道に捕捉されているので、電子軌道間に反発があるとみなすことも出来る。)

結合電子対の占有する結合性軌道は2つの原子核の間に強く束縛されているので、非共有結合電子対の原子軌道よりも結合軸近傍に電子雲が集中している。電子の反発はクーロンの法則に従い、同じ距離であれば大きな領域を占有する電子軌道の場合ほど強く反発するので

非共有電子対間の反発 > 非共有電子対と共有結合電子の間の反発 > 共有結合電子間の反発
と考えることができる。

これを補足すると、結合電子対は結合原子間にとらわれているため狭い空間に閉じこめられているが、非結合電子対はより広い空間に広がっているため、非結合電子対同士の空間はより大きくなければいけない。そのため分子の構造を考えるときに、

非共有電子対間の角度 > 非共有電子対と共有結合電子の間の角度 > 共有結合電子間の角度
となる。

メタン、アンモニア、水の分子を考えると、共有結合軌道と非共有電子対軌道の数はそれぞれ(4:0)、(3:1)、(2:2)であり、非共有電子対軌道の反発の結果、共有結合の結合角は小さくなると考えられ、実際には109度、108度、104.5度である。

原子価殻電子対反発則は、オクテット則に従う典型元素後半の元素群だけでなく、ホウ素など電子対欠損を有する場合においても推定が可能であることから広く用いられている。非常に単純明快な定性的理論であるにもかかわらず、希ガス分子を含む多くの化合物の幾何構造を正しく予測することができる。ただし正確な距離や角度などの分子構造を定量することは出来ない。

1つのs軌道と3つのp軌道の重ね合わせにより4つの混成軌道が定式化され、sp3混成軌道関数と呼ばれる。次に炭素の場合の例を示す。

ψ
1
=
1
2
(
ψ
2
s
+
ψ
2
p
x
+
ψ
2
p
y
+
ψ
2
p
z
)
\psi _{1}={\frac {1}{2}}(\psi _{{2s}}+\psi _{{2p_{x}}}+\psi _{{2p_{y}}}+\psi _{{2p_{z}}})
ψ
2
=
1
2
(
ψ
2
s
+
ψ
2
p
x

ψ
2
p
y

ψ
2
p
z
)
\psi _{2}={\frac {1}{2}}(\psi _{{2s}}+\psi _{{2p_{x}}}-\psi _{{2p_{y}}}-\psi _{{2p_{z}}})
ψ
3
=
1
2
(
ψ
2
s

ψ
2
p
x
+
ψ
2
p
y

ψ
2
p
z
)
\psi _{3}={\frac {1}{2}}(\psi _{{2s}}-\psi _{{2p_{x}}}+\psi _{{2p_{y}}}-\psi _{{2p_{z}}})
ψ
4
=
1
2
(
ψ
2
s

ψ
2
p
x

ψ
2
p
y
+
ψ
2
p
z
)
\psi _{4}={\frac {1}{2}}(\psi _{{2s}}-\psi _{{2p_{x}}}-\psi _{{2p_{y}}}+\psi _{{2p_{z}}})
これら4つの混成軌道が表す方向性は正四面体の頂点方向と一致し、メタンの結合角109度とも合致する。

軌道混成理論によると、メタン中の価電子はエネルギー的に等しくなければならないが、メタンの光電子スペクトルは 12.7 eV(1つの電子対)と23 eV(3つの電子対)の2種のバンドを示す[3][4]。この明らかな矛盾は、sp3軌道が4つの水素原子の軌道と混合した時、さらにもう1つの軌道混合が起こると考えることで説明可能である。

1つのs軌道と2つのp軌道の重ね合わせにより3つの混成軌道が定式化され、sp2混成軌道関数と呼ばれる。次に炭素の場合の例を示す。混成に加わらない軌道(2pz)をz軸に取ると、

ψ
1
=
1
/
3
ψ
2
s
+
2
/
3
ψ
2
p
x
\psi _{1}={\sqrt {1/3}}\psi _{{2s}}+{\sqrt {2/3}}\psi _{{2p_{x}}}
ψ
2
=
1
/
3
ψ
2
s

1
/
6
ψ
2
p
x
+
1
/
2
ψ
2
p
y
\psi _{2}={\sqrt {1/3}}\psi _{{2s}}-{\sqrt {1/6}}\psi _{{2p_{x}}}+{\sqrt {1/2}}\psi _{{2p_{y}}}
ψ
3
=
1
/
3
ψ
2
s

1
/
6
ψ
2
p
x

1
/
2
ψ
2
p
y
\psi _{3}={\sqrt {1/3}}\psi _{{2s}}-{\sqrt {1/6}}\psi _{{2p_{x}}}-{\sqrt {1/2}}\psi _{{2p_{y}}}
これら3つの混成軌道が表す方向性はx-y平面上に対称軸120度を成して交差する軌道関数に相当し、エチレンの二重結合炭素の結合角とも合致する。

1つのs軌道と1つのp軌道の重ね合わせにより2つの混成軌道が定式化され、sp混成軌道関数と呼ばれる。次に炭素の場合の例を示す。混成に加わる軌道(2px)の対象軸をx軸に取ると、

ψ
1
=
1
2
ψ
2
s
+
1
2
ψ
2
p
x
\psi _{1}={\frac {1}{{\sqrt {2}}}}\psi _{{2s}}+{\frac {1}{{\sqrt {2}}}}\psi _{{2p_{x}}}
ψ
2
=
1
2
ψ
2
s

1
2
ψ
2
p
x
\psi _{2}={\frac {1}{{\sqrt {2}}}}\psi _{{2s}}-{\frac {1}{{\sqrt {2}}}}\psi _{{2p_{x}}}
となり、x軸上で直線的に対向する2つの軌道関数に相当し、アセチレンが直線状分子であることと合致する。

メタンの正四面体型形状で説明されているように、結合間の角度が混成軌道間の角度に(ほぼ)等しいため、軌道混成は分子形状を説明するのを助ける。

混成は、ポーリングによって最初に提唱された混成配置を用いて典型元素AX5についてや多くの遷移金属錯体についてしばしば提示される。

この表記法では、典型元素原子のd軌道はsおよびp軌道と同じ主量子数(n)を持つため、これらの後に置かれる。一方、遷移金属のd軌道は、sおよびp軌道の方がより大きなnを持つため、これらの前に置かれる。ゆえに、AX5分子では、P原子におけるsp3d混成は3s、3p、3d軌道を含むのに対して、Feでのdsp3は3d、4s、4p軌道を含む。

1990年、Magnussonは第二周期元素の超原子価化合物における結合でのd軌道混成の役割を決定的に排除した重要な論文を発表した。超原子価化合物におけるd軌道の関与は長い間、分子軌道理論を用いたこれらの原子の描写における論争および混乱の中心であった。混乱の一部は、これらの化合物を描写するために用いられる基底関数系にd関数を含めなければない点に起因している(さもなければ、不等に高いエネルギーと歪んだ構造が得られる)。また、分子の波動関数へのd関数の寄与は大きい。これらの事実はd軌道が結合に関与しているに違いないことを意味すると誤って解釈されていた[10]。分極関数としてのd関数は、あくまでも他の原子の作る電場により元々の原子軌道が歪む効果を現しているものであり、原子軌道で言うところのd軌道とはやや異なるものである。

同様に、p軌道は配位子と結合して18電子状態にある遷移金属中心によって利用されていると長年考えられてきた。しかしながら、最近の分子軌道計算によって、p軌道は遷移金属錯体中の混成軌道に対して有意に寄与していないことが明らかにされた[11][12]。

計算化学で示されているように、超原子価分子はフッ素や酸素といった電気陰性配位子と強く分極した(そして弱められた)結合を持つ時のみ安定である。これらの配位子は中心原子の原子価電子の占有状態を最大の8個[13](遷移金属では12個[5])に減らす。これは混成に加えてσ共鳴を含む説明を必要とする。これは、それぞれの共鳴構造が独自の混成配置を持つことを意味する。指針として、全ての共鳴構造は典型元素中心についてはオクテット (8) 則に、遷移金属中心についてはデュオデクテット (12) 則に従わなければならない。

理想的な混成軌道は有用であるが、現実にはほとんどの結合は中間的な性質の軌道を必要とする。これは、個々の種類 (s, p, d) の原子軌道の柔軟な重み付けを含む拡張を必要とし、分子形状が理想的な結合角からずれた時の結合形成の定量的な描写を可能とする。p性の量は整数値に制限されない。すなわち、sp2.5の様な混成も容易に記述できる。

結合軌道の混成はベント則によって決定される。

孤立電子対を持つ分子では、σ孤立電子対および結合性電子対は様々な度合いで混成し[14]分子の結合角を与える。例えば、水における酸素の2つの結合を形成する混成軌道はsp4と説明でき、104.5º の軌道間角を与える。これは、20%のs性と80%のp性を持つことを意味し、混成軌道が1つのs軌道と4つのp軌道から形成されたことを意味している訳ではない。

多重結合に類似したやり方で、孤立電子対はσおよびπ対称性に照らして区別される。例えば、水では2つの孤立電子対の1つはH-O-H骨格に垂直な電子密度を持つ純粋なp型軌道であるのに対して[14][15]、もう一方の孤立電子対はH-O-H結合と同一平面にあるs性の高い軌道である[14][15]。

三角錐形 (AX3E1)
例: NH3
折れ線形 (AX2E1–2)
面外のp軌道は孤立電子対あるいはπ結合
例: SO2, H2O
単配位 (AX1E1–3)
面外のp軌道は孤立電子対あるいはπ結合
例: CO, SO, HF

孤立電子対を持つ超原子価分子では、結合配置は「共鳴結合」要素と「正規結合」要素の2つの要素に分解できる。

有効なspxを作るためのsならびにp軌道の混成は、それらが同等な動径方向広がりを持つことを必要とする。2p軌道が2s軌道よりも平均して10%弱大きい(部分的には2p軌道が〔自明な原点の節を除いて〕動径節を持たないことに起因する)のに対して、1つの動径節を持つ3p軌道は3s軌道よりも20-33%大きい[16]。sならびにp軌道の広がりの差は周期表の下にいく程大きくなる。化学結合における原子の混成は局在化分子軌道を考えることによって解析できる(例えば自然結合軌道(NBO)スキームにおける自然局在化分子軌道を使う)。メタン(CH4)では、計算されたp/s比は約3であり、「理想的な」sp3混成と一致しているが、シラン(SiH4)ではp/s比は2に近い。同様の傾向がその他の2p元素についても見られる。水素のフッ素への置換はp/s比をさらに低下させる[17]。2p元素は直交する混成軌道を持つ理想に近い混成を示す。より重いPブロック元素では、この直交性の過程は正当化できない。理想的な混成からのこれらのずれはヴェルナー・クツェルニク(英語版)によって混成異常と命名された[18]。

Pブロック元素とは、第13 - 18族に属する元素である。全て典型元素。このブロックではP軌道に電子が満たされていく。PブロックのPは、英語の principal に由来する。

第2周期
ホウ素 (B) 、炭素 (C) 、窒素 (N) 、酸素 (O) 、フッ素 (F) 、ネオン (Ne)
第3周期
アルミニウム (Al) 、ケイ素 (Si) 、リン (P) 、硫黄 (S) 、塩素 (Cl) 、アルゴン (Ar)
第4周期
ガリウム (Ga) 、ゲルマニウム (Ge) 、ヒ素 (As) 、セレン (Se) 、臭素 (Br) 、クリプトン (Kr)
第5周期
インジウム (In) 、スズ (Sn) 、アンチモン (Sb) 、テルル (Te) 、ヨウ素 (I) 、キセノン (Xe)
第6周期
タリウム (Tl) 、鉛 (Pb) 、ビスマス (Bi) 、ポロニウム (Po) 、アスタチン (At) 、ラドン (Rn)

混成軌道の概念は多くの分子の紫外光電子スペクトルを誤って予測するという広く信じられている間違った考えが存在する。これは、クープマンズの定理が局在化軌道に適用されるとすれば真実であるが、量子力学は(この場合イオン化した)波動関数が分子の対称性(原子価結合理論における共鳴を意味する)に従うことを必要とする。例えば、メタンでは、イオン化状態 (CH4+) は、追い出された電子が4つのσ結合のそれぞれに起因すると考える4つの共鳴構造から構築することができる。構造の数を保存するこれらの4つの共鳴構造の線形結合から、三重に縮退したT2状態と1つのA1状態が導かれる[19]。それぞれのイオン化状態と基底状態との間のエネルギー差はイオン化エネルギーに相当し、実験と一致する2つの値が得られる。

混成理論は有機化学の不可欠な部分であり、一般的に分子軌道理論と共に説明される。反応機構を描くためには、2つの原子が2つの電子を共有している古典的な結合描写が必要なことがある[20]。メタンの結合角を分子軌道理論によって予測するのは直接的ではない。混成理論はアルケン[21]やメタン[22]における結合を説明する。

混成原子軌道から作られた結合性軌道は局在化分子軌道と考えられる。分子軌道理論では、適切な数学的変換(ユニタリ変換)によって非局在化軌道から結合性軌道を作ることができる。基底状態で閉殻構造にある分子では、行列式の性格からこの数学的変換は総体の多電子波動関数を変化させない(個々の軌道のエネルギーは変化するが分子全体のエネルギーは変化しない)。したがって、基底状態の総エネルギーと電子密度、総エネルギーの最低値と対応する分子構造を説明するための、基底状態を描写する混成軌道は、非局在化軌道による描写と「等価」である。