吸うほうは普通のズームだろう。なかなかこんなに目に見えて次元のそろったアトラクターはない。酒を飲むとえら呼吸になるんじゃないだろうか。つまり生命の方が流れを引き寄せているのだ。植物に関して言えば呼吸はふたつにわかれる。細胞ありきという説はここで否定される。植物の方が我々より高等であり、壁を築いたからだ。足を持っている。そこから細胞のアトラクターが動物へと移動してくる。壁を失う。と失わないのアトラクター。つまり植物は我々の生みの親なのだ。安泰な環境が栄養を取り込む方へと機能を発展させ。クチバシをもった鳥が生まれた。これは壁の形質の記憶を持っているためだ。無慈悲にも我々の生みの親である植物を殺した。足は一人歩きを始め。最終的な形態としてウィルスの形になることをえらんだ。多体を枯れさせるのと同時に銃を生んだ。ここでは銃という形態はないが生命の方が形態を引き寄せている。形態はさらに進化し、自身が邪魔に思える。ここで△が生まれた。△は人を寄せつけないが、銃という記憶はもっている。この形相ができたところで空間的な不均一が生まれた。次に人が考えたのが単発で終わらせるという考え方だ。つまり首を重ね合わせ一列に並ばせるということである。ここで九州と電話が分かれた。あくまで持っているのは悲しい記憶である。以下これらを使用し、全消去するすべを考え出したのである。ここで酒を飲む概念と時間を巻き戻す概念が明確に折り畳まれる物体であると認識され、死ぬと定義されることに至ったのだ。ここで反ゴーストという概念が生まれ、体現できるのは差こそあれ有然であるだろうと思う。それゆえ息に注目してみることは差について目に見えるかたちのものであるといえる。つまり差はあるのが普通。だが無くしたいのだ。いままで恐れていた植物が取り込まれていく気がしないか。普通に考えて「武漢ウィルス」ではない。ここでも我々は当て付けか正統派かのふたつのアトラクターに立たされている。