果たして自分に今どういう理論が必要なのかということが大事だ。「至近距離にある」それでいて「届かない」これだ。

果たして自分に今どういう理論が必要なのかということが大事だ。私が感じていることは社会も感じているはずだ。今「爆買い」が鳴りを潜めている気がする。最も顕著なところでは「服が安過ぎる」ということだ。激安の品をいくら大量に購入したところで自分を放出したような快感は得られない。マンションを2個3個と買えば気持ち欲求は満たされるのか。その後の事なんか果たしてどうでも良いではないか。パーティーを開いてオーディエンスを増やしたところでコールアンドレスポンスな欲求は満たされるんだろうか?なんにせよ欲しいのは「人の気持ち」だ。もっと言えば「好きな人の肌触り」だろう。今お金といったら「環境を差す」というほど私たちの世界は「愛」と「好き」で満たされている。だから単純な「愛してる」や「好き」は至近距離で噛みきれない粘土を噛むかのように気持ち悪い。その気持ち悪いほど人の口を塞ぐような言語化の「受付けなさ」がさらに単純でない人の欲求に愛を向かわせている。「至近距離にある」それでいて「届かない」これだ。