対称性が成り立たない数ではるかに多く満たされている

数学とは「対称性」を見い出す学問であるといえる。当たり前のことを言うが「1+1=2」とは「1と1を足すと2になる」ということであり、反対に「1-1=0」というと「1から1を引くと0になる」ということだ。ここで新たに「1+1=5」あるいは「1+1=11」といったような「定義」を加えると数学の対称性は成り立たなくなる。だがここで「define once and only 1+1=5(1+1=5とたった一度だけ定義する」とすると、定義した1+1=5以外の対称性を回復する。私がここで言わんとしていることは、人間の世界をはじめ、このように数学の対称性が成り立たない「数」が対称性が成り立つ数よりも「はるかに多く」この宇宙、特に地球の、人間に、特に人間のこころに関して「満たされている」ということだ。つまり人の価値観が自分に合うとは限らない、という当たり前のことを言えるようになる。「既存の」数学の対称性が自分に合うことはほとんどないが、人が成長していく過程は、その対称性との折り合いを「回復していく」過程である、あるいは「新たな対称性を作り上げていく」過程であると言える。人は自分が生まれ持った価値観を諦めてしまっては「ほんとうの数学」を知り得ることはできないのだ。そして対称性が成り立たない者同士の「交換手段」を学んでいくのだ。自分のこころが傷つきながら。決して数学は頭だけの問題ではない。