あたりさわりのないことやってるわりには顔をだす。その矛盾で一歩も進めない。スライスのできない軍師。

ボロボロで帰ってきて夏の夜の海で君と「相性いい」なんて話を蚊に刺されながらしてた。ただ一言君は僕に恋してると。夜明けが近い。引きずった昨日をたぐり寄せてまた恋する惑星を届けたい。倒れるかどうかなんて君は未来に愛情を注いでた。なんであと一歩1mm手を伸ばせなかったかなんてオフィスを蔑ろにしてたら。1mmの影もなくなった眩い公園で作ってきたおにぎりを食べた。老夫婦が歩く姿が僕の一瞬にみえた。ダンスのあとのふたりのあいだに波も人波も都会もワルツを踊る踊る。首を切られる花を見て。ドアに滑りこむ人の圧力で切れるのだと思う。あたりさわりのないことやってるわりには顔をだす。その矛盾で一歩も進めない。手先も自分のもんだって。それはこの世にあるものを全部俺が作り出したってこと?どんないきおいで顔をアピールしてるのかわからない。顔に繋がった巨大なコンピュータみたいだ。それかただ必死こいてるだけか?存在がなくなりそうで。「この世にあるものを全部作り出す」物理の論文を読んでるおれは欲望でもなくそんなことを考える。数学よりも少し「手先っぽい」もちろん資源が壊れるほど手先を動かしちゃだめだ。なんか「細い線をもう一層開く」そんなかんじだ。より薄膜に開かれた世界。そんなスライスをどうか楽しんで。確かにスライスもされてない世界で「右だ左だのいいだのわるいだの」顔に繋がったコンピュータでいるのは滑稽で仕方ない。「お山の大将」まさにそんなとこ。スライスのできない軍師だ。なんだろうなだけど。この腕から毛が生えてくるようなこのかんじ。「力仕事する毛玉の男にはなりたくない」そんなとこだろうか。この毛玉は一体。アウトドアするソロキャンプの男?何かしら「今を生きる能力と外れたような」「鼻で笑っちゃうみたいな役立たず」そう。これは「資源が壊れるほどの手の動かし方」だと思われてるんだ。ほんとのキャンプなら宇宙でやれってか?スーパーコンダクティビティーが一般教養として必須でしょうがない。フォノン・スカーミオンの準粒子・格子-電子相互作用の概念なしに今を生きれる気がしない。今の人との関わりについて。たいしたことない顔をつっぱねて。「命に関わること」そんな気がしてる。はじめてばかにされなかった顔で。どこまでいってなにができる。運命を呪うことをやめられるか?私はオジサンだオバサンだと思うことも運命を呪うことに違いない。年のせい。それはつまり。若いことも。呪いをかけるような大人の言い方。「運命が敵」なんじゃないか。「捨てられる服の運命が敵」