先日「世界はたったひとつのトーションでできている」の記事の最後に書いた「∩→|∩|。∩=f(x)」についてちょっと説明をさせていただきたい。これは「積集合(intersection)を絶対積集合(absolute intersection)にする」「集合の積を取る演算∩はf(x)をもって成る」という意味である。どういうことかというと、私たちは高校などで「∩」この記号は「A∩B」だとしたら「AとBの共通部分である」として習った。だが、AとBの共通部分が「いつも無条件で取れる」とは限らない、ということだ。AとBの共通部分を取る、というこの演算子∩が「使える条件」である、と言える。言い換えれば演算子∩を使える条件を指定しているのだ。はたまた私たちは小学校などでも『1+1=2』であるとして「+」の記号を「無条件」で使ってきた。だが、ここで「+=f(x)」とすれば「1と1を足す」ことのできる「条件」をf(x)だ、と指定していることになる。私たちは人間関係においても1+1=2のように「おまえとおまえは仲良くなれ」と言われて無条件でお友達になるわけではないのだ。「+」という記号一つ取ってもすべての+が一律「同じ成分から成り立っている」とは限らないのだ。ブラックホールの内部や、銀河を結び付けているダークマター、宇宙全体を膨張させているダークエネルギーなど、それらを計算するためには「根本的な数学の構造から」見直していかなければ、その真の姿に迫れないものが、まだまだこの世の中にはほとんどだと思うのだ。人間の事にしたってそうだ。我々はほんとうの意味でまだ「人間であること」に近づいていない。このようにして「数え方」の数の概念をひろげていくと、いままでわりと当たり前として計算していた「1+1」でさえ「爆発的に」その求め方の計算量が増す。おそらくこの求め方で行って今現在の宇宙の形を計算することは不可能だろう。だがこうして「数の概念」を拡張していかないと、宇宙の真の姿にも、人類や人間のあるべき姿にも迫っていくことができないのだ。乗っかってるならそりゃ永遠はないよ。関手こそが。「ある1+1がabsolute intersectionとなる」その『空間』を考えることができる。極限として。あるいは絶対離散として。これだと「絶対ガロアはたくさんある」、という話になろうか。それこそまさに「個々際」といった話だ。