世の中お金ってゆうけど非常に性的な部分がありまして。ほんとに僕はミスが許されない。性と金も私は結び付けたくない。

世の中お金ってゆうけど非常に性的な部分がありまして。ほんとに僕はミスが許されない。CATIAを少し弄れば「ぽんちゃんバントで(扇子で)ホームラン」なんてこともできるわけで。その場合ぽんちゃんと扇子のサイズと硬度と弾性はボールに対して「かなりデカい」というふうに単純に発想してみてなるわけで。「実空間シミュレーション」で羽を動かしてみると『相当強烈な風が吹いている』ということになるんだろう。当然だ。1,000km/sであたってくる風に豆粒みたいなボールが淀み角でポチッと当たったら→そこでストップ。大ホームランだろう。角度的に考えて「上昇中」の「バントの扇子」が必要であるが、まるで大気圏に突入(あ、「から脱出」か。)するぐらいの勢いでボールがぶち当たったらいかようにも打球が飛ばせるのではあるまいか。『ゲームの話をしている』となるとテンションタダ下がりだが、実際にCATIAを使ってガチでこんなショーもないシミュレーションをしてみると「バカなことでも考えてみることに価値がある」ことがよくわかるだろう?世の中お金ってゆうけど非常に性的な部分がある。「バカなことは考えるな」は結局「俺の性行為のジャマをするな」に半等しいことがわかるだろう。いずれにせよ萎え萎えのインポテンスな話に双方持っていくという、最終的には戦争して終わるような、人の命が終わっていくような印象を与えてしまうのは、結局今まで「不可能は不可能だ」ということと「個人の尊厳がバカにされてきた」ということの重大な帰結であるように思う。けっこう際どい「教授のオチンチンスレスレの」ポジションチェンジ(ニアミス)をこなしていかないと結果この世界で「立ち位置」も「思考空間」も得ることができない。そんなわけで宇宙空間にいくにはなかなか認可の下りるものではないが、「ある種の実用的なアイデア」でそれとなく認められたものならJAXANASAESAも予算を出して許可を出してくれるかもしれない。民間ロケットに期待したいが、技術者も素材もまだ納得いくものではない。アメリカは「宇宙に出たもの」だが銃規制も女性の権利もどうなっている。我々が「進め」というエネルギーは結局市民の土壌において「どんな熱を生み出す」のだ。決して地上のものを忘れてきてはいけない。ただ教授の権利を奪いたいわけじゃない。さっきだって教授を揶揄していたが、「地に残った者のスペースシャトル」は「人」なのか?二人三脚で片や「人」を見て(専門にだ)片や「宇宙(野蛮な)」を見る構図は変わらないのか?それは人の野蛮な部分だ。さっきだって教授は野蛮な優越感に浸ったような性行為をしてた。優越感に浸った性行為は許されないのだ。少なくとも私の場合。ただ自由が認められてるから。屈服することにエクスタシーを感じてしまう女性の(たとえば大出せだとか)それは「性と金」が結び付けられている以上ないだろう。性と金も私は結び付けたくない。

ESA の予算は2005年度は29億7700万ユーロ、2006年は29億400万ユーロであった[7]。ESA の予算の大部分はロケットの開発である(22%の予算がロケットにつぎ込まれており、有人飛行が次に多い)。2005年は負担額の大きい3か国が全体の3分の2を負担しており、その内訳はフランス (29.3%)、ドイツ (22.7%)、イタリア (14.2%) である[8]。