高専組合

技術があって人にできないから食えるのではなく、それはもともとあったものが守られるからだ。技術によって他人を変形できるとは傲慢すぎる。それはもはやその人が「量産型」のものであり、決してその人のもともとあった形が認められたものではないのだ。しかるに技術を人に寄せ付けぬようにするように「特許」といったもので守られた「人と人との争い」の中に肉団子ように置かれるのである。技術はその人を体現したものではないのだ。増して人を侵食する危険なものである。そのような技術をもった人が高専組合によって形を歪めるのである。必要なのは組合から人を守る結びの多様化であるのだ。工場作業員をつくることではないのだ。いまあるような組合の形を。多くのことが個性を消滅させたなかに体現されるのはいまのリー環の不完全性を物語っている。我々が作るべきものは機械ではなくあるべき人のリンクなのだ。これはリー環のテータリンクとして表現されるべきなのだ。工場を維持するべくその工場は個性が失われているのだ。技術者は特許の海に巻き込まれてはいけない。特許に個性はないのだから。ならばあなたはその企業をテータリンクが許す方まで引き寄せるべきなのだ。新たなリンクを作り出したならその企業はむしろあなたの方である。そういえるような企業の「形」などひとつもない。弁護士に頭を下げてあなたはあなたであることを放棄するのか。粘性と破力をもったあなたの言葉だ。あなたは誰の組合でもない。