体積を変えずに粘性を変化させられるか。フラクタル次元。

ある意味宇宙全体は「その人」のようなものである。ある人とある人では宇宙の解釈がちがう。体積がちがうというのは「その人に縮こまれ」といっているわけではないし、それはムリなはなしだ。我々は「ものとの結びつき」をやめることはできず、指先を延ばしてどこからどこまでが自分でどこからどこまでがものの領域であるかは、そのときそのときになって変わるものである。命綱でむすびついている自分は切ってしまったら自分ではなくなるだろう。ガッチリ命綱を握ってあたかも自分は《もの寄り》になるはずだ。フラクタル次元をもちいて自分の粘性を変化させるとはこのようなもので、我々はものとの〝したがって宇宙との〟結びつきを変化させて体積を変えずに粘性を変化させるであろう。弱い結びつきをするならそれは弱い結びつきでより多くの空間とつながっていることだといえる。それはあたかも結合を分散させているようなものだ。我々はSDGsを体現して地球とモラルの高い人間組織との間で最大限の結合定数をとろうとする。実はそうはいっても以上のように79.54億人のまったく違う宇宙の結合や離脱による瞬間的な組み合わせによるものだ。その意味で世界はやはり一人一人〝一つ一つ〟の宇宙の質にかかってるものだといえる。まさにSDGsの意味するところでSDGsといっても「のっぺらぼうの概念」だけがそこにあるのではなくそれはまったくことなる一人一人の顔をしているのだ。あなたがいい環境をとろうとしたときに掛けられるべきほんとうの言葉とはいったい何だっただろう?「あなたと私は早く結びついたほうがいい」そんな言葉だったか。小銭があるような多くの言葉を求める。だいたいそれぞれが美容にどれだけの時間を費やしているのかもわからない。駆逐するように人を食べ尽くしているのかもしれないし、それには抗えないのかもしれない。そのような何人かの人のローテーションでまわっているのかもしれない。それこそがあなたの〝アーミー〟であり〝機械〟かもしれない。〝機械のようなサイクル〟かもしれない。何を言ったらそのひとがよろこぶか?つごうのいいとこだけはなにも変わんないのね。あなたにそんな言葉も振れない。ばか。でてけよ。いったらおしまいであるかのようなきわどい言葉も。他では命が切れてしまう。私もかわいくなんかない。足して引いてやれない。どうかそこまではいきたいけど。売り動かす真実であれ。なぜなら私は私腹を肥やしているから。そんなつながりで。裏切ったかもある。だったら楽ではあるのに。猫ばばしたような体を求めてるんでしょ?言霊から命が奪われるような。