インターネットつまりロンダリング

この画面を見据える。どこに重心を添えようかと。私の手は汚れている。あたまだけは。私の手は汚れているか。イメージで愛されぬものを捕まえたか。たどりつけないのなら選択権はない。リニア宇宙船は重力があってはじめて成立するものか。惰性の摩擦飛行がないもの。ただレディエーションに侵されている気がする。足元をみるのか。このままだまって進むか。あたまの方は歩きたがってあるのだ。その理由がほしい。足元はいつも「いけるかどうか」なようだ。私は生きたいがこの足を歩かす理由が欲しいのだ。たとえば君の星までといっても足元は歩くことを選ばないだろう。

宇宙を歩けたらどうか。リニアコライダーのようにあるいて進むのだ。むしろ歩いていくしかないのではないか。月まで歩いていく。どれほどロマンチックだろう。我々の生命の化学(科学)だ。我々は月まで歩いていけるようになったと。だが月は周回運動している。どうやってレールを繋げるのか。次々と移り変わっていくレールを想像する。あらゆる周回軌道が競合せず四六地面に交差して月までの一本ルートを照らしている。それに縦のルートはない。折りかさなった何重(何層)にもつながるビームなのだ。そんな月までの線を一本引けたら我々の旅行は楽しいものとなるだろう。みられてるんだろうな。電場に。ひとことおべっかをいうこと。大変きけんなことだったんだ。