双極的にというよりかはこのような形を考えている

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光を1こ2こというよりかは1つの光でこのようにくびれのないものだ。こうすることによって光は流水のように行ききすることができる。水というとわれわれにとってとってもなじみぶかいもので、なじみがありすぎてまるでぽっかりそこだけが「なにもない」ように抜けているものなのである。ひとつづきの光を延長することはまるでその人の人生を延長することにひとしい。かかわりありがあるようでもこのようなことを考えてほしい。ある人にはこれをもっこりした男にはさまれているようにみえるだろう。このようにすれば質量ギャップを永遠につくれていくだろうか。われわれはあたまのなかにすんでいる。それは疑いない。そして地にかえる要素をもっている。あたまのなかはこんなである。それぞれの領域をひろげながら地にかえる要素でつまづいていないだろうか。ボタンを押してこれを止めるように。パラヘキシカルゴン。筋肉の微動体に作用する。伝達物質。痛覚に作用し。人間形成、人間関係を形作る。痛っ。と思ったときに。指で押し。ページを捲る。捲るか捲らないかの上下を形成する。大人はそれを『捲らない』の判断をし、子供はそれをついつい捲ってしまう。それが一方でメタスペースに繋がり、一方でリアルに繋がる。薬は必要なものを創薬するだけではなく、伝達物質を発見することでももう形作られている。必要なものを作れば問題が解決するということではない。声がでかければ伝わる、というように。声のでかさを否定しているわけではない。イケメンであればものは解決するか。メタスペースへの引き込みには効果的であるかもしれない。ぐるっと周って一週向こうがわ。ボタンがついている。おれはほんとうは平和なせかいをのぞんでいない。こうだいなけしきをみおろして。これからせいふくしようだなんてかんがえてるんだ。

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食い物もパラヘキシカルゴンに。いったいこの世は家畜?私の言葉では作動しないような。