気分は、出しつくされた音楽の往来なのか

気分は、出しつくされた音楽の往来なのか。いや。いまの気分が過去にあったことはないだろう。間違えた言葉選びに息急きつかまされて音を失うことはあるだろう。人はその声を『見て』いるのだ。加害の域なのか、自衛の域なのか。人の声を奪うのは存在の立案から間違っているのではないか。相手が市長であれ政治家であれ、その声を存大解釈し、必要のない部分は必要のないことは消損させることは、(体を張って声をとめる)言論の自由を損ねているのではないか。むろんこうしてできあがった領域は健全なものであるとはいえない。人事課ももう事実を改竄したり破棄したりすることなどまったく嫌わない状態だ。