国家の宇宙。個人の宇宙。

ジェームズ・ウェッブ望遠鏡を作ってみたい。年始にコロナに罹り、ふとウクライナでは戦争が起こっていて、暖房もままならないような状況であることを鑑み、そんなことを思ってしまった。東部ではミサイルが降り注ぎ、防戦一方でロシアを追い払うという困難な戦争が行われている。防戦一方でミサイルが降り注ぐという状態のこの土地に平和が訪れるとしたらいったいどんな形になるのか。親方がこっちが味方だからこっちにつけという。国家として大事業を起こして国の威信をかけた宇宙望遠鏡を作ることは、ある意味、国家と国家の競争がかかっているのかもしれない。それが単にミサイルという殺傷しか目的がない兵器に化けたとしてもだ。今回の戦争は国家という威信と、防戦一方という形で国が守れるか、ということの勝負なようにみえてきてならない。東部地方の人たちは親方に踊らされて、どっちがどっちでも本人たちにはまったく関係がない、ロシアからミサイルが降り注ぐだけだ。どうやってすっくと立つような日々を送れるかなど、本人たちの手にはまるでないようだ。薬ひとつも作れない私がいうので申し訳ない。できることなら国と国とが関係ない、地域のドラマみたいのをやってみたいものだ。いまや東部地方は国と国どころではなく、世界を2分した補給戦のような様相に変わっている。和平につながるとしたら、どんな形があるのか。この土地の人々の1分1秒を追ってみたい。国家の宇宙と。個人の宇宙。