ウイークボソン

ウイークボソンは弱い力であるが、重力子はさらに弱い力だ。一般的にいう〔弱い力〕を研究するにあたってインテグラルな宇宙を研究する。結局、量子重力理論の研究に行き着くことになるのだが、これは[モノポールの存在]⇒地球の中心にあること。[圧力圏の交換]⇒地上20mの圏にあること。によって、これもまたマクロな宇宙理論[マクロミュージシャン]によって解決される。ことに課題となるのが、〔弱い力を守ること〕であるが、これは全般的にいって〔中間的な〕力なのだ。この中間力であることがなおさら〔弱い力を守りづらいもの〕にしている。つまり〔弱い力は切断の途中〕にあり、常に切断の危機に瀕しているのだ。弱い力はまっさきにきられてきたといっていい。ただこの弱い力の接続がなければ、全体のマクロミュージックは成り立たない。「男前」であることは文字通り「男が前にたって矢面を作る」ことをいうが、このやり方ではうまくいかない。かといって女性に同じ役割をやっていただこうとしてもこれも「疲れはてさせて」しまうのだ。大事なのは文字通り「男前程度」のエネルギー状態に「本人が気づいて励起させている」ようではいけないのだ。『恋の力』とはいったものだが、⇒『うまいこといって矢面に立たそうとしている』と⇒『気づかれる』⇒『自分もそのつもりでいる』というスタンスではいけないのだ。『自分自身が矢面に立つことはできない』また『彼女を矢面に立たすこともできない』という非常に擬かしい状況ではあるが、なんとか【ストレス】〔こういっていいだろう〕をやり取りして、お互いも、そしてマクロサウンドもうまくいくように、《真の貨幣的な価値のあるもの》をやり取りしていかなくてはならない。この際、[陰でたばこをフカシている]ようではだめなのである。このようなことを考えると地球惑星物理学はもはやモノポールを含んだメカトロニクスである。宇宙最大規模のエネルギーのモノポールと蠕動箍外な固体合併が一体化したものかつ圧力系統を変革させているものである。宇宙全体をダイナミックに変化させる力である。いまさらながら我々が扱っている力の途方もなさを思い知らされる。それが地球である。われわれはまだ夜空がガラリと姿を変える様子を目のあたりにしたことがない。惑星移住はもちろんできるが、「地球に帰ってくるまで」を考えなくてはならない。銀河交差ももちろんできるがわれわれが見える力の流動を考えなくてはならない。結局は幾何的な変形があったにすぎない。どちらに巻きこまれるかはまた別である。われわれの見える思考が変わるのか、それともわれわれの身体が移動するのか。われわれが数学を勉強するテンションはこのあたりに含まれている。