ネットと一言でいっても「人のネット」である

「ネットはどーだ」といってもそれは人のネットである。それは「人の個性」に入っているのである。全体的にネットとして熱力学的に収束するかといえば、そうではない。人の個性に収束するのである。それは人の脳の処理具合といってもよい。結局個人の脳の処理具合に入っていって、それがいいとかわるいとかいっているのである。その人の脳の処理具合に入っていって完全に自分が消化されてしまうなら、それは自分の人生に価値はないと錯覚してしまうんだろう。何人かのネットサーフィンをして消化されるならそれだ。ただ人は「2人で生きたい」と思うものだ。それができないんなら、それに向かって生きていないんなら、ネットに消化されてなんぼだろう。まさに人が「情報化する」とはそういうことだ。社会が情報化したから、それがなんなのか。どこまでいっても「人のネット」でしかない。漠然とした「何人か」のネットである。「わたしのネット」ははたして情報化しているか?「あいつは市長だ」とかいってかるくぶっとぶようなネットに。