{1,7,14,9,6,25}と{2,3,8,129}といったブール代数での枠組を考えた場合、これらの数は「相反」であって互いに関係を持たない。上記の数は単なる『指標』であって、[順序]などの特別な意味は持たないとする。[つまり「1<2」などの意味はなく、「1」を『ア』、2をイ、などと置き換えても構わない。]ここでブール代数より限定された枠組が欲しい、とは、互いに「関係を持たない」とされている指標[あるいは数]に【どのくらい関係が薄いのか(あるいは濃いのか)】という“線の濃度”を加えることである。あるいは、これを“線”と定義しても構わない。『われわれの世界に「線」はあるのか?』ということはリーマン予想をはじめ、我々が生きていることに対する根本的な問いかけである。われわれが生きていて「効率化」ということは、AIに人間性が乗っ取られそうな現代にあって、根本的に「生きる意味」を問いかけている。AIの世界は「生きる意味」を常に「効率化」の方から引っ張っているように思える。まるで「生きる意味」<「効率化」のような力関係があるようだ。
果たして「ブール的な」【良かれ】or【悪かれ】の方に、我々が望んだような[命と繋がった]『線』があるのか。だとしたらそれは「どのくらいの濃さの線」なのか。それを構築する「線の濃さ」の数学が望まれている気がしてならない。