消防団と地域福祉型社会福祉

我々は社会責任を取ることに躊躇しがちだ。善意があっても多額の賠償責任は負えないと考えると善意は萎んでしまう。私が司法を学んでいて最も問題だと考えるのは絞首刑が裁判官に与える影響であるとか、殺人を検証するよりも、強姦罪を検証するほうがより苦痛を感じることだ。それも強姦罪に加わった人間がとりわけ卑劣に感じる。私は生活している環境の中で、この罪が私の周囲の環境の人間そのものに思えてならない。誰でもこの罪を犯しやすいし、逆の意味で多額の賠償責任を負えないために善意を失ったものが行き着く犯罪であると思う。要するに犯罪に便乗しているのである。名乗り出ることができなくなったものはなんでもやるのだ。人は強いとか有名であるだけで敵意を持ちがちだ。賠償責任を負えないのに多数の人からお金を集めるような商売をしようと考え思っているのである。到底信義則にかなったものではない。我々は姿を隠して責任を回避することをやめていかなくてはならない。当然だが人の信用が社会の基盤なのである。政治家を盾に取る行政府の人間も強姦に加わった人間になんのためらいもなくなったものたちだ。