自分が生きてきた人生は法学の資料となる

いわゆるゴンゾウ、あるいは「見掛けのために仕事をする人」を嫌っていたのかもしれない。それと同時に「何かをしてあげたい」と思っていた。むしろ嫌っていなかった。でもこれらの人は「何かをしてもらいたい」とは思ってないのだ。そして何かをしてもらったからといって、個人的に何かをお返しするということもない。「本質」のために仕事をするということもない。ある意味「フワッとしている」。少し絶望しながら漂うように。世の中の闇を見つけてはつつく奴がいること。言われがあるとないに関わらず、責められる恐れがあるかないかで。フワッとしてるだけならまだしも、悪霊だ。この悪霊が、どれだけ言われのないものを攻めるか攻めないかを、外知の及ぶか及ばないか、あるいは外知と同様の考えであるかないかで言われのないものをつつくなら、悪霊の濃度といえるだろう。