消費を底上げする必要はないのではないか

景気を支えるのに個人消費が必要だ、とはよく聞く話だが、地球の限りある資源を消費するのは良くない。なんか言っていることがおかしい。お金のために環境を破壊しても良い、と言っているようなものだ。都合のいいことばかり言うときは、消費が必要だとか言って、環境のことになるとムダだ、とか言うのはちょっとアイデンティティがない。ファッションは環境に悪い、とか。

普通に考えて消費は少ない方がいいに決まっている。企業の設備投資を増やさないといけない、とか。古い物はバンバン捨てろ、と言っているようなものだ。競争力のために最新の物を入れろというのもおかしい。もっとじっくり一個の物を分解して、必要な部分だけを取り替える方が、世界全部の人がやるんだとしたら、そっちの方がムダなもんを掘り起こさなくていいに決まっている。

誰かに嗾けられてばかりいる、ということだ。ほんとの一人一人の主体性は違うはずだ。できることなら止まりたい、とか。もっとのんびりしていたい、とかあるはずだ。結局誰のためにもならないことをやっているのではないか。誰かに綺麗事を言っているようでも誰も幸せになっていないのでないか。誰かに何かをやらせよう、という奴がいて、それが多すぎて、結局バカバカしいから俺もやらせよう、などと考えて、結局その分損をして、前の人が前の人を突ついて、またケツを突つかれて、ストレスの方が遥かに多く、誰の本意にもそぐわないサイクルだけが膨張していっているのではないか。機械が勝手に回っている、とか。一度動き出した機械だから、止められないとか。そりゃ単一のものを作り出す機械を持っている人は、その単一のものをバンバン使ってほしいに決まっている。そして必要性をアピールするのだ。アピールというか、洗脳だ。さらに設備投資してほしい人も、そのために作った機械を買ってほしいと思う。若干ムダだと思うものすら買ってほしいと思う。

単純にムダだと思える世界に乗り遅れないようにするためだ。そのことが既に他人に犠牲を強いている。必要のない商品を売ることに。

景気を底上げする、が、必要のない商品を売る、に思えて仕方ない。だったらそもそも関わりたくない。ムダを膨張させてそのツケを払うなんて、だったら一人で何でもできる気がする。われわれに必要なツールはすべて揃っているのではないか。木竹一つあればいいのではないか。神経をすり減らしたら、売るために本心でないことを言ったら、仕事のために欲しくもないパソコンを買ったら、ただの押し付けが一向に増えていくだけなのではないか。本心でないヘドロが世界に溜まっていくだけなのではないか。押し付けて一体誰が得をするというのか。タイムリーに自分のところから押しやっているだけじゃないか。人のところに押しやって笑って楽しいと思うのは、既に人間の皮を被った邪悪なのではないか。「家族を守る」とか「仲間を守る」とかいって「その他」に押しやっていい、と思っているのも既に世界とは乖離している。残念ながら人間が死に絶えて、動物とは違ってそのまま植物とかのサイクルに栄養として還る、というふうにはならない。