土俵に立つまでが難しく、土俵に立った後慢心する

弁護士とはそうなのではないか。やっと戦うことができる。が、もう自分を守れることで終わってしまう。すごく長い戦いだった。試験のことだ。自分の信じる道を行けること。ずっと思っていた。「困ってる人ってお金ないんじゃないのか?」だったらどうやって報酬を得るのか。いつも疑問であった。よくある話で、子供から10円貰って「よし、これで君は私の依頼人だ」という話。お金が目的で膨大な量の司法試験の勉強ができる気がしない。だったら年収300万円でもほんとに自分が信じている事をしたい。それが生命感であると感じる。何も苦労して勉強したからって、あとはガッポリ稼いでやろう、とはならないのだ。ずっと不思議に思っていたのだ。弁護士が必要な人は困っているはずだから、お金はきっと払えない、と。そして資格を取るのは大変である、と。なんのために戦って、いたいのか。それを決められることが、ただのスタートでしかない、と。種を蒔く草木のように、生命が強いものでありたいのだ。それができなかったのは誰のせいだ?誰かが訴訟を頼んだ。手を貸すにしたってそれは、その人にほんとにいいことなのかわからない。金さえ払えば黒が白になるなら、その人がダメになってしまうのは明白だろう?