弾丸を発射するのは、人の本能だ、と誤解を恐れずに認めれば、非常に弾丸を発射して、人を殺害するのはたやすい。発言でもって、相手を屈服させることも、弾丸で、殺害することに類似している。一度この方法を覚えた者が、優しさでもってこれを抑制するというのは、我慢の限界の限り有効であるが、最後の最後、人は力の優位を使ってしまうというのは、大人気なくもあることだ。これを防ぐ最後の手段として、弱い武器をもつ、相手よりも、といった場合に、このサブマシンガンに対して、実情上の、あられもないサブマシンガンのことであるが、これに対して板金を行なってもらうようにすれば、それを利用して飛行機を作成し、さらには板金とともに飛行機を離陸させることもできる。四方八方から打てばであるが、むしろこの方法でしか飛行機を環境負荷なく飛ばす方法はないのではないか。そしてついでに、地球上で弱い立場に立たされ、いつでも虐待の危険のある動物たちをこの航空機の搭乗させることは、さらに弾丸から命を守ることさえできる。移動もできる。簡単に、嫌いなったら人を殺しちゃえばいいんじゃないかと考えている人にとっても、その殺そうという実行行為さえ実現できれば、たとえその殺害が失敗に終わったとしても、再考の機会が得られる利益もある。放射というのはそのまま放射として使った方が最も効率が良い故、敢えて極端な考え方をしてみて、このような利用を表現してみた。また放射物というのはその存在を察知されることを極端に嫌うものだ。一旦X線と化した科学技術をもとの放射物に戻すことは事実上不可能なのではないか。ある意味この航空機自体には動力がない。打てば打つほど命が守られるとするなら、画期的ではないか。サランラップは食物を必要とするが、この方法であれば、動物を食糧に変えておく必要さえないのだ。鉄板であるが、天然ラップだ。