人とゆう漢字

「人と人が支え合って生きる」と解説されるが、「人と人が支え合って生きたい」ではないか。邪魔な人が近くにいると酸欠になるではないか説。ふつうは酸欠になるのはたくさん喋っている邪魔な人の方なのだが、おとなしいと思われる近くにいる人の方が酸欠になるのだ。つまりはフォトンフォノンも酸素を媒体にしているのではないか。人由来、物由来関係なく酸素を媒体にしているなら、当然たくさん酸素を必要としている近くの人から奪ってしまうのだ。なぜならばフォノンを作るということは型を作ることに他ならない。であるならばフォノンには圧力と温度とあと媒体としての酸素が万人に受け入れられるものでなければいけない。当然超伝導は効果がすべてであって作用はない方がいいのだ。伝導自体作用であるのだから。生きたいのだ。型が酸素を歪めるものであってはいけないのだ。必要なものがない、というのは万人が目指すところではある。ただ、どうゆう方向にフォノンを展開するかはその人その時になってみないとわからない。すべて逆のものはあたかもそのものに等しい。すっぽんぽんの逆はすべて嘘ということになるが、すべて逆ならあたかも酸素ということになるのか。そのとき植物と太陽に別れた。逆酸素は常フォノンなのか。三次元空間は三次元空間としてそのものを伝えられないといわれている。これが暗号です、といって三次元空間そのものをなんの認識もなく移動できないということだ。逆にわれわれが毎日姿を変えていたら困るのだ。伝導しているのは空間そのものなのだ。電子がどこかに行きたいが、それがフォノンの果てまでなのだ。それが電子にとって入りやすく、少し窮屈なところなのかもしれない。果てはわれわれが用意した逆だ。情報はわれわれの姿の化身なのか、それともなにも必要としてない、なにも用意していないのは困るのか。なにを伝導したいのか、私は民事をやっているが、何もない、というのはひどく退屈なのだ。ある意味使い終わったものはもとに戻さなければならない。誰かは退屈だとは思わず、夢が叶ったと思う。大海原で誰ともあわず、久しぶりに見た行き交う船が海賊船なのか、ただのすれ違う船なのか、嬉しいのか、嬉しくないのか、海賊だったとしたも通り過ぎてくれるのか。そのくらいわれわれはフォノンに従っていきている。しかしこのフォノンがUFOであったとしたら入り口から出てくるしかないのではないか。だとしたらわれわれの街並みはUFOではないか?よくいって喫茶店のご夫婦なのではないか?よくあるようなタバコとコーヒーの苦みで彼は笑っていた。むしろ頭は嫌がっているが、からだが嫌がってないところが超伝導なのかもしれない。2次元で3次元を表現できないことはわかっているが、それっぽいものを表現しようとすることはできるといわれている。守ろうとしてるんだけど、やっちゃうとか。ある意味殺意とはそれを逆戻りさせないだけの効果をもてばいい。監護に該当する者がやること。バードに助けられるまで。つまり、もし、海賊をケガさせまいと、海に逃げ出し、縄とビニールで足袋を作って、海底まで泥を引き下げて、土を作っていたが、大切なものはレモンの種だった。そこにバードが登場だ。ああ、風力発電でもってバードを殺害しなくてよかったな、そう思った。風車を三角格子にしてみれば、また変わる。常識とはなにか。防犯とはなにか。好きになったり嫌いになったりすることではないか。風車を見てはいけない、見ても疲れるだけだから。守ろうとしたその鳥が金網にクソをひった。まてよ。このクソは肥料に変わる。こないだキャベツが肥料と農薬を兼ねるなら中が太陽しかないといった。金網のキャベツ畑で?ある意味中が太陽だ。居心地がいいとはまいる。まるでキャベツと芋虫だ。いったい何のつもりで発電を始めたのか。風車は鳥の脚だ、あの船もあの船も。羽ばたきする音は小鳥がびっくりしないのか?だがまたあのレインコートで出かけていく姿。ミミズと蛙に埋もれて再び目を覚ますことはないだろう。尚輝はレモン畑で目を覚ました。手段として作っていた道路がない。どんな効果が欲しいのだ。動物の世話をしていて動物を殺してしまう効果、清潔で丈夫で。そんな初恋の人との出会いを。鹿が山を登っていく。