抽象的と具体的の次元が同じだとこのようなことは起こらない。ひとりひとり感じている圧力は違う。監護している昏睡強盗。民法は目の前のことが具体的といえる。足りないのは言葉の全網羅性なのだ。それが頭を抑えないことといえる。つまりは自由だ。それは最終的には目の前が具体的になる、という効果なのだ。刑法はそれを犯罪的かもしれない、と思えるほど外から見る視点だ。つまりは抽象的なのだ。圧力は触れている触れていない、結果触れていない。圧力自体が抽象なのだ。ひとり遊びではない。つまりはなんらかの刑を科す意図と、次元が変わっている、変わっていない。最終的には民法となる結果を備えていること。空中でなおかつどの程度の作業ができるか、空中にいることはふつうではないが、これも浮力のひとつなのではないか。