いまから3億年ほど経つと地球の大陸が一箇所に集まるといわれている。あまりに大きすぎる大陸にはいまでも真ん中へんに海が流れ込んでいたら大変有用であるとも考えられるが、またあまりに小さな領土であっても宇宙空間を含めた領空を伸ばしていけば、やがては大きな領土をもつ国よりも大きな領土を占めるようになる。立憲民主主義と多数決民主主義が必ずしも同じことをさすとはいえないのはいうまでもないが、いまの世界で平和に暮らしたがっている人と、わざわざ3億年後の未来のことも考えて平等を主張する人では、あきらかにいまを平穏に暮らしたいマイノリティーにも満たないマイノリティーの方が多いであろう。しかしいまの科学をもってして地球を改造し、電動的な力でもって徐々に大陸を移動させていくのは、暮らしぶりとしてこの平穏な意見に反する。そこで例えば2億年後、全人類が地球から避難できる状況にあったとして、平和的核融合でもって地球に2本の切れ目を入れ、一発で捻り上げるというのはどうだろうか。もちろん地上には動物たちもおり、反対の声は多数上がるだろう。なかには、そこまでしてまで生きたくないと宇宙意識世代を考慮した発想も考えられる。いわば地球カット、地球リフォームだ。だがある種の知恵でこの被害も最小限に抑えられそうだ。このように積極的な基本権と消極的な基本権が一個人の中でもまとまらないことはある。大変小さな領土をもってしてイエーィやったぜと領土拡大してやったりという姿は微笑ましくもある。警察権を考えたときに、重苦しいことばかり考えていては、やがてマイノリティーのマイノリティーも守れなくなるような気がした。強力な電場が大変コミュニティーのいるものだと考えると。われわれは人を動かすよりも地球を動かす意識の集合であると、電場の方向性を思うのだ。