酔うとるのか、おまえになやろ?お前か瞳さんの方が可愛い
なつむこよ
くすりゆびだけはあけていたのに
無理して指輪買ったね
おっぱいだけはさわるフアンケル幾何アテナブホワイトキス南大君土天海冥G DIVORCE
誰かの能で重力が支えられている
真下にいる誰かの
我々は太陽に囲まれている
西の空から太陽が昇る
東の空から太陽が昇る
南の空から太陽が昇る
北の空から太陽が昇る
真北から真南に太陽が昇る
太陽が私の頭頂部から足元へ通る
私の真ん中にいる
土星をθリンクで縛るように
Xの土星
θリンクは掛け算系のモノイドと局所的なガロワグンだけ
私の全身がコインになって破けとぶように
ホーキングエベポレーションは繰り返す
そういえば地球と私は似ている、太陽を抱いた地球だ
手で抱いても愛してるといっても
太陽は私なんだから
確か地球も私だった
月はイスラマバッドのように
まっすぐにとんでった
木星も火星も金星もナイキ惑星で
水星も天王星と
木星のリングに支えられたヒルヤグン、トロヤグン、ギリシアグン
麗しいオールトの雲
海王星の軌道以遠のエッジワース・カイパーベルト
宇宙全部を圧えていても月だけは抑えられないもんだな、それとdar'
愛にとっては月でdar'
dar'は虫か?
カオスっていったらカオスよ
虫の力はものすごい
男は女はカオスよ
カオスっていったらカオスよ、男は女はカオスよ
同じことを繰り返しているうちに微妙にずれてくるという理論
これに虫を加える
銀はバイ菌っぽい
銅は暗黒っぽい
金は速度っぽい
マルセールセルは風っぽい
バッタは南大夕
ゾウに翼はなくても
鳥にナイキ臓はなくても
象の翼は樹か?
そこに鳥が住んで風が吹いて
まるで虫のように翼を広げる
東南アジアも虫のように
月のdar'を潜り抜ける、verticalの rainbowが王冠のように闇の向こうへクラウン
鏡を見た僕が、星を見上げた僕が暗闇に映る
虫は僕の方だった、太陽は僕の方だった
カオスの膝は愛まで
そんなに脚はながくないし、僕はのぞみの駅にいた
光は寒くて、こだまは敵は全て前にいる
速度に囲まれた海が虫の目に映る恐竜のタワーにみえる
引き裂かれた景色がまわるまわるまわる
こだま、のぞみ、光、1/4
脳というのは上にあって、能というと下に下がる
お笑い芸人の勢いで弁護士をやっている
ならばその象は背負っている
これがθリンクなのではないか
だとしたら象は私の首を絞めている、なぜか?
早く助けて、といっているのではないか
それとも他の誰かのように環境を壊して車に乗って、と区別もつかないのか
ただひとりではおまえを守ることはできないし
笑っておまえと過ごしたい、だけど普通の見た目に空虚な冷たい心、それだとだめなんだよな。だからいつかフランスで仕事がしたい。俺がフランス語を使っても肛門にキスしてるようにしか感じないし
ユリシーズは銀河鉄道だと思う。だけど俺のイメージだと銀河鉄道は999ではなく1001かな。この世界は多少自惚れた人間たちが主に陸に海にとネットワークを形作っている。地球だけではなく宇宙も。私たちは今のところ空を見上げるだけでは宇宙の全てを見ることはできない。ほとんどが人間関係の中にあり、動物や植物たちだけと触れ合っているような幸せな人間はほとんどいない、そして自然を壊すような足跡を残す。飛ぶ鳥跡を濁さずというが、我々は跡を濁さずにはいられず、時には人間同士殺し合いをしながら足跡を引き継いできた。それがユリシーズの一日24時間なのだ。象を背負っているといっても気安く手を振れることもできないのだ。キリンも好きだし、熊も好きだ。それなのに俺は私は宇宙へ飛び出そうとした。この大好きな仲間たちを連れてもいかずに。彼らは宇宙では地面を私だと思うだろう。血液さえもうまく流せない。植物にしても、水中動物にしても。ワープというのはものすごい重力の掛かるものだ。うまくやらなければ彼らも私も死ぬだろう。G DIVORCE それは一度目はうまく宇宙チンクをすることだ。ニュートリノ観測機もその軌道を見ることはできない。なぜならば宇宙には我々自身も必ず含まれるからだ。蛸が自分の脚を食って花咲くように。闇と光がお互いを吸い込みながら桜が飛び出すように。そして最後にはどんなところにいたいか、今すぐやりたいことはなにか。そんな私も炬燵の中でマルセルプルーストを読んで、イランマスクのスペースビジネスのニュースを観て、ユリシーズの文庫本をアマゾンで注文している。恐竜達のいる世界は楽しいが、それが嫌だからこんな世界を発展させてきたわけだ。「なつむこよ」はこの国の最大の象徴ともいえるが、このラストシーンは少女に自分自身を摘まれるのを止めている光景なのであった。ムハンハドは闇で光の絵を描いた。イスラムは全てを胃の中に收めてイスラエル、イスラマバッド。そう体の中に全てを收めて輝けといっているのだ。だがこの世界は心より頭が少し上のようだ。そうだ、我々が全ての法律を守れないのは、我々が動いているからだ。全ての法律を同時に守る必要がないのだ。地域によって慣習は違い、17時には仕事を終えて帰宅する。背負っていたものが目の前にある。これがθリンクだ。θリンクは相対性理論を半分の世界だと言い切った。だから我々は休むことができる。これは自転車だ。量子力学的電磁気学は我々が考えた世界、脳であって能ではないのだ。つまりはあらゆる法律も同時には守ることができない証明である、なぜならば時間は流れているから。能力というのはどれだけ背負っていた世界を目の前の御馳走に変えられるか、なんだろう。もちろんどのような人も背負っている世界はすべての世界なのだ。それだけじゃなく、草木や虫に至るまで、世界のすべを背負っており、かつ目の前にあるのだ。