国際法検事のように。民事保全法と人権条約の狭間にある。つまり結果は判事は自分しか戦っていないことに絶望しているのだ。自分が守った民事保全法の暖かい灯りを見つめ、なぜ私はその中に入ることができないのか、と。民法保全法人権条約「43」堀内政和や。何を慮る。寧夏回族自治区。菜園文化。自分は何を守ろうとしていたのか。華やかさの陰にある冷たくて空虚なものはなにか。内臓を売られているのではないか、人攫いがあるのではないか、今も都会でもそれは変わらず、有然状態であり、なにもかわらないのではないか。苦労して安月給でも戦っているから意義があることであり、菜園の子はなにを望んでいるのか。私たちの民事保全法は本当に民事保全法なのか。温かいからこそ寒すぎているのではないか。中毒のように熱さを求めているのではないか。日本にそんな場所はあるか、大阪ではないか。ぐぅや、瞳や愛はなぜ働けなくなったのか。どんな仕事も靖子のような女性の太陽になれないのではないか。樋口一葉のような。靖子の光よ。だからぼくらは横浜で戦争で死んでいく。かっこわるくたってお父さんがいればいい。大阪も瞳も愛も飛び立たない。おれも、生まれた場所が綺麗であってほしい。戦争から目覚めたとき、次の太陽に辿り着いたとき、それがまるでビッグバンのようだった。おれたちはただいっとき勝ちたいだけなのだ。盛者必衰というのも、敗れて衰えるばかりでなく、ただいっとき勝って、ただ勝ちたかっただけのことに気づいたほうの衰え方というのも考えてみたい。択捉島の綺麗さと。菜園文化の関係も。もちろん択捉島菜園文化というのもある。彼女たちは世界を憂うかもしれない。青年に捧げるみずからや。また貧しさを求めている。痛みで産まれた子を触れる危うい光景。それが自分のものになれば。少年におまんこを入れる。乱れに乱れて少年を殺す。何度も何度もそんな記憶が繰り返される。「43」おれはいったい。択捉島菜園には誰もいない。択捉菜園には誰もいない。人で賑わう夏を夢見た。択捉菜園を得た。君がいなくなった。夜は寝れなくなった。それ以外は。天にも昇るような君のからだ。自分は何を守ろうとしていたのか。かっこわるくたってお父さんがいればいい。人生の山は跡形もなく消え去るが、誰もその山を越えずにはいられない。そのような里を作りたい。夏の奄美大島と、普段住んでいる択捉では里が違うし、人生の山場を越えるのは金はあるが、人間関係が裏切られたときに巻き起こる。その時の里は夜の明かりが灯る家路であり、青少年のときは小さな街のこのような場所で過ごす。都会に出て華やいだスターに憧れ、戦いに巻き込まれていく。ただそれだけのことだ。40になり、自分のプライドを守れるか。子供が生まれ、足りないものだらけの中にも満たされた愛情をもっとも人生で至福のときを過ごす。43になり、人権条約と民事保全法の狭間に乖離を感じていく。Ulyssesとは実は冷めざめした冬の空の下、陽炎の残業の夕陽の中にあったことを当の本人は気づかない。種子島街並みで。