イスラエルは牡牛の頭、フランスは牛田である。インドは、世阿弥天の川。大韓民国はアジアで、カナダはアメリカで、アラブ首長国連邦は中東で忘れられがちな国である。真下にあるアラブ首長国連邦に、Englandが「ドリブルこそがチビの生きる道なんだよ」と鳥の巣銀河を通り抜け、アメリカが「リングの真ん中に叩きつける」と鳥の巣銀河の真ん中をのけ反らせる。奈良県の東大寺が「なぜあなたがそんな長物を?」と、問いかけで槍をはたき落とす。鳥の巣銀河は崩れ去り、東大寺は上から覗けばリングとなる。▫︎乙=∫Fds。D-加群、E。ゆえに太陽クロスモノポールを真下に落とす。槍の間合いは大変遠い。だから長物は必要ない。この天の川の半径を超えた。NASAだ。天の川E。モアイにたばこを吸わせる。落としたタバコには手と温度の落差がある。長物でなくてはあの口には届かないのである。すなわち銀河の外からしか。パラオの人たちも日本人は約束を忘れている、と思っている。片目が腐り、片目が見える。繋がっているが、それでも2つの目しか持たない私を醜いと思うか。私の偶像よりも。地球の上部に筒状の発射台を設けること。これ以外に宇宙エレベーターは有り得ない。風を集めて。なぜか風にバイクが乗れるのだ。竜巻の筒状のものだ。竜巻に巻き上げられるように。そう考えればハリケーンも恐ろしいものばかりではないではないか。われわれの手に負えるものとなるのだ。車椅子も世阿弥となる。手では触れず、錆びる。鳥の巣銀河の右下の闇を抜けたイギリスは、"zeami rain form"に見える。真ん中をのけ反らせたアメリカは「雲さえも星座だ」というだろう。真上を眺めれば天の川が走っている。織姫と彦星は出会うことはない。観阿弥は見上げた私。世阿弥は「MODEは錆びる」と言った。四次元の世界では四本足の椅子は仕方がない。だが、その果ては「太陽の中にいる」ことだ。太陽を引き寄せれば、椅子は一脚となる。すなわち私は地についていない。東京は大根のようだ、中東はカーテンのようだ。