ラジカル開始剤

ラジカル開始剤(ラジカルかいしざい、radical initiator)とは、ラジカル反応を進めるために穏和な反応条件でラジカルを発生させる化合物。ラジカル開始剤は一般に結合エネルギーの小さな弱い結合を持つ。工業的には、高分子合成の一手法であるラジカル重合反応において重合開始剤として用いられる。下記のようにいくつかのタイプへ分類できる。

ジハロゲン分子はハロゲン-ハロゲン結合のホモリシスにより2個のハロゲン原子ラジカルへ分かれる。例えば塩素分子 (Cl2) からは、紫外線の照射により2個の塩素ラジカル (Cl•) が発生する。これはアルカンのハロゲン化で利用される。

アゾ化合物 (R-N=N-R) は、熱または光により2個の炭素ラジカルと窒素分子に分解する。例えば、アゾビスイソブチロニトリル (AIBN) はシアノイソプロピルラジカルへと(下式)、ABCN はシアノシクロヘキシルラジカルへと分解し、ラジカル反応を開始させる。

有機過酸化物(ペルオキシド)は -O-O- 結合を持ち、そこが熱によって酸素ラジカルへと分解する。オキシルラジカル RO• は不安定であり、さらなる分解を起こしてより安定な炭素ラジカルへと変わるとされる。例えば ジ-tert-ブチルペルオキシド (t-BuOOBu-t) や tert-ブチルヒドロペルオキシド (t-BuOOH) が熱分解して発生する tert-ブチルオキシルラジカル (t-BuO•) は、続いてメチルラジカル (CH3•) とアセトンへと分解する。過酸化ベンゾイル (BPO, PhC(=O)OOC(=O)Ph) はベンゾイルオキシルラジカル (PhC(=O)O•) へと分解するが、続いて二酸化炭素を遊離してフェニルラジカル (Ph•) へと変わる。メチルエチルケトンから得られるメチルエチルケトンペルオキシドも開始剤として用いられる。

低温でラジカルを発生させられる試薬として、過酸化水素と鉄(II)塩、過硫酸塩と亜硫酸水素ナトリウムなど、酸化剤と還元剤の組み合わせが用いられる。これをレドックス開始剤と呼ぶ。

トリエチルボラン (Et3B) やジエチル亜鉛 (Et2Zn) もラジカル開始剤として低温ではたらく。

アゾ化合物や有機過酸化物などのラジカル開始剤は不安定であるため、冷暗所や冷蔵庫に保管される。爆発のおそれに注意して取り扱われる。

ラジカルに1電子を奪われた分子が他の分子から電子を引き抜くと、その分子がさらにラジカルを形成するため、反応は連鎖的に進行する。反応はラジカル同士が反応して共有結合を生成するまで続く。このような反応をラジカル反応またはラジカル連鎖反応という。燃焼は最も良く知られたラジカル反応の1つであり、ハロゲン分子が炭化水素と反応しハロゲン化アルキルを生じるのもラジカル反応である。高分子合成においても過酸化ベンゾイル (BPO) やアゾビスイソブチロニトリル (AIBN) を開始剤とするラジカル重合が行われる。オゾンホールの原因となっているのは塩素原子のラジカルである。

塩素分子が光 (hν) または熱(⊿)でラジカル解裂することで塩素ラジカルが発生する(式1)。
塩素ラジカルはメタンの水素から1電子を引き抜き塩化水素になり、メタンはメチルラジカルとなる。メチルラジカルは sp2 型の配座をとりラジカルはp軌道上に存在する(式2)。
メチルラジカルは塩素分子1電子を引き抜きクロロメタンになり、再び塩素ラジカルが再生する(式3)。
塩素ラジカル同士で1電子授受するとラジカルは消滅し、塩素分子となる(式4)。
メチルラジカル同士で1電子授受するとラジカルは消滅し、エタンとなる(式5)。

酸素による空気酸化あるいは過酸化物などのラジカル開始剤が存在する場合、ラジカルが HBr から水素を引き抜き臭素ラジカルが発生する(式1)。
臭素ラジカルが炭素二重結合に付加する場合、生成する炭素ラジカルが安定な中間体が生成する。このラジカル付加の配向は、カルボカチオン中間体を経由する際のマルコフニコフ則と逆になる。その理由は炭素ラジカル近傍に置換基が多いほうがσ軌道の超共役による安定化の寄与が大になるためである(式2)。
炭素ラジカルが HBr から水素を引き抜き臭素ラジカルが再生する(式3)。
副生成物としてはラジカル終端反応によりオレフィンの2量体などが発生する(式4、5)。