平行にかんじていることにトーションをかんじる実験

平行にかんじていることにトーションをかんじる実験。一般相対性理論の枠組みと、非平衡統計力学の幾何的要素不在の力学(平行)について。慣性系をとることに対するエネルギー。(確定要素を固定するエネルギー)つまり慣性系を固定することも不確定性関係にあわない。エネルギー塊を固定することも不確定性関係にあわない。エネルギー塊を固定して観察するエネルギー。エネルギー塊を固定して考える学びと、流動的要素を流動としてみる学び。固定状態(平行)をとろうとすること→トーション。切断→要素について。

ターナリーメモリーとはぜんぶである

ターナリーメモリーとはぜんぶである。地球、宇宙、すべての情報である。とうぜんこれは、物理的にも、因果関係には結果がある、と知れるのみで、ご存知のとおり、宇宙を止めておくことはできない。

いまのマイナンバーのような一元管理によって、とうぜん、たとえば、ミサイルが降ってきた、とか、隕石が降ってきた、などの管理は、しやすい、と思うが、YouTubeやネットのメモリーのように、代々個人の情報を、国や巨大企業が管理をすれば、情報を保持している→安全、が、捨てきれない情報→ぜんぶ、となり、とくに人同士の争いにおける、ミサイルなどの、ぜんぶ、の脅威により、人々の負担は増す一方であろう。

これに対応する、単純な方法としては、個人でハードディスクのようなメモリーをもつことである。個人で高度な個人メモリー化をすれば、とうぜん、いざというときにそのメモリーは引き出しにくくなる。意味不明なその人個人の記号や、その人にとって保持しやすいメモリー機構は、かならずしも集団でそれを保持しやすいものとはならないだろう。

であるから、国防も、はたまた地域の防災も、一人一人が、個人の同意を得て、最小限にシェアしていく形になるだろう。

むかしは個人がハードディスクをもつように、タンスの引き出しに、思い出の写真をしまっていたものなのだ。

では、どうやってその目を守るか?

目が真っ二つに切れるようなタイヒミュラー理論の真髄に。もともとハミルトニアンも目なんじゃないか。われわれはものをみてるけど。それはか弱い眼球から。ワールドワイドにものごとをみて。その実、自分のまなこも守れてなかった。いろんなものを雑食的にみてきたけど。みてたのかみせられてたのか。ふたつのものを選別する目に。では、どうやってその目を守るか?

ないものをみたいとおもう。このガラスタップのスモールスペースだっていずれは自分で。だけどバイナリーに特化したマシンラーニングをどうやってターナリーにかえていくか。はじめからレオロジーはあるとおもう。

ゆらぎの定理

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ゆらぎの定理がどうもあわない。物理量が交換されると、このようにシーソー機構のように片一方の物理量が爆発的に肥大化していくようにしか思えない。『数式』自体が、現在世界各国で『統一的に』扱われるものであるため、個人の感性《資産》が、統一的にあらわされるエネルギーに、多分にも費やされすぎている気がする。私のように、このように数式を幾何化していくと、世界のアクションが一方的に肥大化した幾何にしかなっていかない。ただ、この肥大化した幾何は『角』をもたない『曲線』であり、見た目には受け入れられやすい、『目にやさしい』ものになっていて、頭痛のたねとはならないものであろう。『最大エネルギーの効率MAXは1/2である』とはいわれているが、のこりの1/2はまさか無惨にも捨てられる情報ではなかろう?われわれは伝えられる情報を無惨にも捨ててしまっていて、その情報が『見えること』としてとらえられるのが、ゆらぎの定理でしかないため、あわないエネルギーがわれわれ人間の中に蓄積されていってしまっているのではないか?それが《平均値をとる》ことのあらわれなのではないか?《平均値》などこの世にないのだと。弁護士だ裁判だと、《目に見える》平均値をとっていくと、結局は法律は悪法のまま、世の中が改善されていくことはないのではないか?受け取りやすいエネルギーのゆくえとはなんなのだろう?『みないでくれ』と目をそらす所存が『手を出す』労力に変換しているのではないか。手につまんだ木の枝は『みないでくれ』『おひねりを乳にはさむ』喜び、といったところか。重金属をつっこまれているようだ。

医療費の削減について

タイヒミュラー理論で《一続きの宇宙》を評価すると、ラグランジアンのほとんどが『強力な重金属』で成り立っていることが、評価できる。これは、多量に出される『薬』の関係からきていることがわかる。つまり、『この薬に頼らないと生きていけない』という状態が、《現在の一続きの宇宙》の状態である、ということだ。『薬』によってうまれた『粘性』で《強力なラグランジアン》を維持しているのだ。これは、地域の地域性をなくし、《一続きの宇宙》であることによって、無理矢理《universal》をつくりだしているといえるだろう。いや、薬によって作り出されているのだ。《up-down》な〈上から現状の体を見る〉ような、地域性のない医療は、親近感もなく、他人事である。この他人事の度合いが、医療の質である。まずい飯はつつかれてもくえない。同じ釜の飯をくってるやつなど、職場にはいないのだ。口を開いて、同じ釜の飯を食え、といわれても無理なのだ。わたしには《一続きの医療のラグランジアン》がない。めっぽこめっぽこおぱけやぬ、にしか聞こえぬ。ばかやろー、おっぱいパブにはもういけなくなるぞ、の意味なんだろう。

宇宙際タイヒミュラー理論をつかってラグランジアンを評価する

フィルターを通す上で、ラグランジアンが「抵抗」をもつ、と評価できる。この上で宇宙際タイヒミュラー理論もまた、発展方程式であると評価できる。あらたなインフラとしての宇宙際タイヒミュラー理論である。これは人が、ものをみた際の『頭痛の評価』で、どのような目で見ている《ラグランジアンである》かを、このフィルターにて評価することができる。その上で、よけいな言葉《ハミルトニアン》を発することを防ぐことができる。〈流入〉と〈支出〉を防ぐことができるのである。ぐっと〈一続きの宇宙〉であるより、〈タイヒミュラー宇宙際〉のほうが、お得であるような気がしてきただろう?男女が付き合う上でも、ぐっと損をするのが、この〈一続きの宇宙〉の《ラグランジアン》に『射抜かれる』ことなのだ。いまの宇宙での[共通の通貨]をもった人間が、強力な抵抗をもったラグランジアンで、目の前を通過されたら、[お互いだけを見ていたい]と思うカップルが、強力な『転位間』にさらされてしまうだろう。どのような要素が〈一続きの宇宙のラグランジアン〉で、『射抜かれていた』か、お互いを見つめるだけの価値観にぐっと近づけるはずだ。

各タイヒミュラーは基数が違うのではないか

各タイヒミュラーが伸びている。奇数を繰り返せば体になる。推しを得て婚活。だけど評価はされないほうがいい。なにかのときに、つかうかもしれない。どんなときにつかうか。万能でなさ、をはかるために。つまり、宇宙際タイヒミュラー理論だと同じ数になってしまう数とか。