科学の発展とはゴミを出さないためのもの

福祉化がなされた社会では高齢化が進む。当然だが高齢化した大人も生きなくてはならない。私はこれに対して医療の自己損害賠償が健康寿命を引き延ばすものだと考えている。もし病院などの医療機関消防団の「事業所団員」となった場合、近隣に出動した医療機関事業所は「消防隊」として活動することになる。これだけでも十分事業所団員となった医療機関にメリットがある。医療従事者は我々一般市民が思っている以上に救急活動には不慣れである。消防隊として活動することも診療所から病院まで医療その他さまざまな社会活動としての訓練になる。医療活動は医師法17条にみられるようにさまざまな制約があり、医師は十分な活動をするには躊躇する。それにはすべて個人で賠償責任を負うことはできないからである。決して医療者は高い給料を貰って金持ちになったわけではないのだ。もちろん消防隊として出場した医師が飛行機内でのドクターコールのように医療を行うことを「宣言」することができる。この場合、地方自治体としての賠償補償は一切ない。もし今このように病院外で活動する医師が賠償補償を得たいと思ったらDMATないしは病院のドクターヘリ若しくはドクターカーに搭乗するような資格を取らなくてはならない。大変高価な組織と資格であり、とても一般医師においそれと取れるものではない。その意味で事業所団員は法令改正に先立つ先見的な活動であるといえる。

私自身、40を過ぎてこの先活動していくに司法資格でも取ってもっと長く社会で活用されるようになるかとも思うが、使える電化製品などをこまめに直すようにゴミを出さない活動することも非常に大事だと思っているし、魅力も感じている。ローテクな作業に思えるかもしれないが、このような法改正などをしていくことが現実的な「歩いていける社会」では「紙面上でない最先端」の科学なのである。

使って捨てるような「要介護」社会を作ることだけが科学ではない。この意味では「経済を回す」などと考えている一部の政治家や、それが統治している多くの国家や団体と対立構造にある。使って捨てるような社会は要介護を大量に生み出すだけだ。