見た目的には地球は割れるかもしれん

いかつい世界に阻まれても、相手を見て相手を倒すことに気を取られず、呼吸を整えることを第一選択とする。

自然環境が劇的に良くなり、鳥獣保護管理法が2014年に改正された。第一選択は「すべての生き物が幸せに暮らすこと」であり、「追い払い」「生け取り」などと難易度の高い選択がそれに続いていく。選択が進むにつれてそれを望まない人も増えてくる。対応によっては行政訴訟となる。それ以上の選択もすることもあるが、特に子供の生き物に対する感情は様々であり、人によっては「何でもできる」という感覚になって犯罪の増加にも繋がる。

特にメインな保護管理の対象は国際責任においても「捕鯨」であり、おとなしくて体の大きい人にとっては感情移入するところが大きく、鳥獣保護の生命線となっている。静岡県の川勝知事はこの捕鯨を研究目的に限り認めている。実際にテレビなどで見ると確かに「魚」という気がしないでもないが、「目の当たり」にしてみると確かに哺乳類だ。わりと上半身は仲間内のそれに近いが、全身を眺めてみるとやっぱり魚だ。まるで人魚のようでもある。すべての人がお腹が空いてそれを獲って食べるわけではない。多くの場合はスーパーに売られていてそれを食べるのである。

テレビと我々の情報と、経済と、多少前のめりに食い入っている我々のアタマと、実際の我々の生活と体の作りの物理的な重さの違いであろう。

気をつけて帰ってくださいとしか言いようがない。

組織犯罪に屈しているようでは立派な社会人にはなれない。裁判官の良心は憲法76条3項で保護されているが、果たして実際他人に守られているものなのか。確かに司法資格を持っていれば「あ、俺司法資格持ってるから」で面倒くさい犯罪を未然に防げるものも多いかもしれない。問題はそれを実行する保安の仕事もできているかだ。「俺職業は全部やってる。43才のときにそれやらなきゃ生きてきけんわと思ったわ。特に警察ね」この程度じゃなきゃなにも保護できまい。テレビはディスプレイが一番壊れやすい。国家もいうなれば組織。