カオスの極限として整数がある

2019年のノーベル物理学賞となった系外惑星の発見ですが、これらを通して感じるのはどんどん我々は特別な存在ではなくなっているということです。若い頃に流行った歌でミスチル桑田佳祐のデュエット「奇跡の星」なんてものがありましたが、そうそう奇跡でもねーぞといった感じです。我々が特別なのもじゃないと感じるとなんかモチベーションが下がるんですが、そこにフィーリングとして感じられるのがカオスに巻き込まれていくようなそんな感じです。実は今もこれを書いていて結論はこうだとか決まっていないんですが、これからの思考や論文のあり方、はたまたYouTubeなど巷にありふれている議論をどのように進めていったらいいかという、つまりは自分自身の論文のあり方というのを表現してみたいと思っています。「こんな感じがする」「なんとなく違和感を感じる」といった表現は、割りかし偉い人たちには認められていて、下っ端の社員なんかがこういった表現をすると怒られたりします。偉い人たちの責任としては、「これはこういう理由でよくない。はたまた一方でこれはこういう理由で致し方ない。それが同時には行われない相反する状態ではあるが、統一した意見としては禁止せざるを得ない。なぜならば相反する状態を第三者が見て納得する理由で説明を行い、なおかつ第三者が要求した事務を遂行するのは高度な技能と倫理観、倫理観と一言で言っても様々な観点があるため、ここでは説明しませんが、要はそういうことです。」と説明しなければなりませんが、このように話は長くなってしまう傾向にあります。つまりはタイトルに関しての話に戻ると、我々は爆発的に膨張していくカオスを受け入れなくてはいけない状態にあるということです。かつて美しかった整数のように整った環境や世界観は、ただただそのままであり続けることは難しくなっているということです。しかし、整数が整数でなくなるということはあまりなくて、それはカオスという摂動を取り入れてもなおかつ整数は整数であり続けているからという結果になるだろうと思うからです。素数にしても然りです。つまり今後の勉強法としましてはどんどんカオスを受け入れていきましょうということです。俺は整数論がやりたいから整数論だけをやる。だとしても解析的整数論に始まり、フラクタルやカオスといった考えが結局のところ整数論を解く一番の近道であるような気がしてならないからです。