お笑いとツイストール

お笑いは人が笑うということだか、それはツイストールの作用だと思う。先のブログで説明したがツイストールは二つの物体があったとき、それが実際に大小の差があるのか、あるいは距離的に遠近法でもって大小に見えているだけなのかを区別しない。だけど人は「違うものは違うと認識すること」を社会から強いられている。だけど自分にはその二つは違うものには見えない。それが同じものだと言われればやはり自分は正しかったということになる。要は皆さんよくご存知のトリックアートと同じ原理なのであるが、笑うという行為が「よくわからないもの」ではなく物理的で数学的にも簡単に説明ができるものであるとすれば私はなんかすごいことと当たり前のことを同時に言っていることになる。そしてそれは識別するものに違いを感じないという見方なのでお笑いには、つまり人の脳にはということになるがそれこそ千差万別の感じ方があるんだと思う。我々の名前があまり同じではないのと同じように。