統計。散逸構造。カオス。初期値鋭敏性。

みなさんはなぜ「ヒョウはヒョウ柄をしているのか。」と疑問に思ったことはないだろうか。かえって目立っちゃって狩りがしにくいんじゃないだろうかとか。他にもクジャクの羽がなんであんなに派手なんだろうかとか。派手な柄を持った動物はいっぱいいるし、そもそも植物の花は色鮮やかだ。

ここで言えることはその柄を通して動物は「運命を読み取ることができる。」ということだ。つまり派手な毒ガエルを見たら→食べたら死ぬ。とかだ。散逸構造とは相空間が体積を縮小していくような相であるが、こういった場合その相空間には決定的なサイクルは存在しない。しかしストレンジアトラクターに代表されるようにそういった大正準集団にも根底に平均的な流れがある場合、生物はそれに合わせた生存パターンを形成することができる。つまりクジャクのメスはクジャクのオスの羽を見て「今後生きれるかどうか」がわかるようになるのだ。

私は統計を好まないが、原子がアボガドロ数個集まったような「正確な初期値を決定することができない」状況に於いては決定論的な物理法則を用いることが難しい。つまり生物学的な状況である。そういった場合我々は好む好まざるに関わらず統計を用いている。意識的に或いは無意識的にだ。昔は楽しみもあまりなく自分の好きなことを見つければそれに没頭できたかもしれないが今はなんと楽しみの多い時代になったことだろう。あれ。話が逸れてる?YouTubeInstagramにあれこれ見てたら寝なきゃいけない時間なんてすぐに来ちゃうな。僕は音楽が好きだからYouTube見てたってなんていい曲が溢れてるんだろうとワクワクして人生100年も200年も生きていたいと思ってしまう。つまりだ。僕が言いたいのはもはやカオスに争うことなどできないということだ。だのでどんどんカオスに巻き込まれましょう。新しい時代はどんどん人間の考え方なんて180度とか128度とか変えていきます。その全く変わってしまった散逸構造の流れ中で自分を形成していけばいいってことです。