医師会とデータバンクは残念な関係にある

医師会とデータバンクは残念な関係にある。むしろデータバンクも残念な関係にある。個人の病症は残念ながら個人にもわからない。これを発展させられるのは個人しかない。『私の病症』をなぜ他人に求められようか。私個人は常々進化しているのである。つまるところ私と周囲の関係もだ。周囲の関係は刻一刻と進化しているといわざるをえない。周囲の環境が個人を取り巻いて刻一刻とよい方向に進化しているというのに、個人の健康状態が、信頼と実績を基に撮り溜めた医院のカルテほど進化しないとは、ありようもない。むろん人のこころは人とのつながりの中でできているため、健康状態が、個人のデータバンクが信頼と実績で積み上げた医院のカルテに凌駕するとは考えられない。ただここのリンクは慎重に行わなければならない。むろんデータバンクの診断はコストでいったらバラバラの医院のカルテの1/100ほどに満たないだろう。ただここに人のこころと県下、市下、もろともの信頼と実績で経営を営む診療所との隔離があるもので、たとえマイナンバー健康保険証が普及したところで、データのアクセスは市町村その他のセクションにおいて、別個に管理されるものであろう。国家の一元管理とは財産の放棄に等しい。最初はナンバーのみのアクセス、次第にはアクセスの許可を必要とする部門へと、個人のデータ管理の要望に応じて市町村のデータ管理へとこまを進めていかなくてはならない。『県下の管理』というのもこれもまたきけんなマクロのデータ配置であるのだ。