あなたがそこにいて絶えず実機は変わっていく。そんなシンギュラリティーにも似たCPUが僕とあなたの間で編まれていくのだ。

青少年の技術者たちのビッグマウスが宙を舞う。これも一つの世界。薄皮一枚自己肯定感に身に纏ったような。それは君にとって正しくても僕にとって正しくはない。いつもインバースに見えている世界は。工業製品はいつも正しくない。それは私のバージョンではない。全ての人のバージョンが折り重なって。だけど否定もされない。そんな正しさの圧力に戸惑う。正しいのは答えを差し控えるバージョン。君に見合った今も未来も取り繕えるバージョン。それはいつも正しさを主張していない。もっと伸びたいと思う。半ば自分のためのアイデアを。止めないでいてもらいたい。あなたがそこにいて絶えず実機は変わっていく。そんなシンギュラリティーにも似たCPUが僕とあなたの間で編まれていくのだ。間奏をリコーダーが吹いたら私がまた歌い出す。そんな99%機械のようなものはない街道を通り抜けていく。同じことが少なくともできること。これが必要なのではないか。まだ哲学とまでとは至っていない部分も。それはつまり遅延グリーン関数に観測者が与える影響は決して無視できないということだ。つまり遅延グリーン関数を計算したときにもっとも変化が起こるのは観測者自身であるということだ。これによって他人にとっての物理は決して自分には当て嵌まるものではないし、我々は同じ言語を話すことは決してできないのだ。他人事のように起こる右から左へのグリーン関数はないのだ。我々は既に総合の多体系を扱っているのだ。技術者が家の外に出ない体系はあり得ない。