きこりとわたし

正直言っておもしろくないいっせんを少し踏みこえてしばらくの作業をしている。非常に斜向した上体で通常作業を行なっている常態である。私の生体からいってこれは好んでできる作為ではない。つまり私の不得意であるのだ。致命的であるといってよい。仕事と休日といって[脳]を置き去りにしてきているといってよい。これが[上方]である。「Mr.」といって買春に誘って注射を刺すのも、混乱した現場でもって暗殺するのも、子供には非常によく効く犯罪である。至れり尽くせりのコンピューターを製造することをなにも好んでいるわけではない。だがわれわれはそれを好んでいる。ただ「できる」ことに満足をおぼえて、それを「できて」、人に満足してもらえるなら、そのつくり出した[斜向]は。ぬるいゼリーのようなものだ。われわれはそれを[きこり]とよぶ。つまり[なにかに集中していれば][病気をふせげる]ということだ。好きな人と[嫌いな人]の違いもわかりません。[斜向]はとうぜんとおもうか。[そらはまがっているものだ]もしだれもその土地にいることを許さないなら、だれもいない洋上に羽をうかべて、その上にさらに羽をうかべて、『あいつはどこの国にも属していないからやっちまおう』というやつらを相手にしていきてきかなくてはならない。ペンローズの階段はいわば可換環である。それがバランスをとって平衡しているようにみえる。つまりはバイアスを拡大して見ることができる。つまりは人が[上方]になっているわけだが。このようにして情報と人の境界線はない。きこりとからだの境界線もないかもしれない。なぜならば目的を忘れてからだを動かしているにすぎない。このように情報と人とからだの境界線がないように射精すればどこかにいけるというはなしではない。