犯罪と経済

壊れた社会を修復するのに手間が掛かるのは当然のことだろう。橋が壊れればそれを修復するのに手間が掛かる。事実、われわれの感情も壊れたものを修復するのに手間が掛かる。犯罪を犯した統治者が綱紀粛正を行っているのはおかしなことだ。そもそも統治者たるや資格がない。われわれはこの光景を目にするとおかしな感覚になる。つまり感情が壊れる。いいことやっても意味がない、と。正しいことがなんであるかわからないと。つまりは世の中には一貫性がない。同じ人間が壊して作って自転車操業をやってしまっている。その人間が人を捕まえて「よかろう」「悪かろう」といっているのだ。これはマンガのコントでなら許されるが、実際自分がやられると大変な自己有用性の喪失を伴う。統治者がハムスターのように車輪を回る自分をみて「もっと腰を入れろ」だことのいっているのは、歪んだ性癖の対象とされているのとほぼ変わらないであろう。わかっていただけると思うが、大変な経済の損失である。なんのためにやっているかはわからないが、月給40万円は貰えるかもしれないが、この仕事は永遠に終わらないのである。われわれは失った感情を取り戻す作業をしている。それにその40万円は費やされるのかもしれない。われわれの仕事のほとんどがその犯罪の対応に費やされていることがわかるだろう。自分を失ってしまってそれを取り戻す作業をしていたらお金はいくらあっても足りないのだ。