クラスレート

われわれの生活には発火するための包摂化合物が必要だ。化石燃料も、下水も、メタンハイドレートも、もともとは生物の死骸である。下水にあっては、風呂の捨て湯であれば、それには〝髪の毛〟や新陳代謝された〝皮膚〟などが含まれる。発火の作用には、このきっかけとなる包摂化合物があれば十分なのであるが、そのサクセシブに有機体から水素を合成するに必要な経路が含まれる。われわれは〝なにもないと淋しい〟のであるが、その地球の〝スカイ〟や〝sea〟の循環にも、きっかけとなっているクラスレートがある。もちろんわれわれは〝人恋しい〟のであるが、〝エコ〟となる循環には、この〝核〟となる有機体が非常に乏しい。下水に含まれる髪の毛や皮膚から、サクセシブに水を水素に合成できれば、わずかな有機体からエコロジーな循環環境を作り出すことができる。われわれの体内も同じようにこの地球循環を回っている。われわれはこの地球にあって奇跡の存在ではなく、必然的に地球の循環に含まれるのだ。地球もまるで人のようなのだ。ある意味、この地球もクラスレートのような様体をしているであろう?そして弱く、サクセシブに乏しい。またSiのサクセシブや水素のサクセシブを研究してみるのもいい。風呂とエンジンはまったく別のものではない。この火山にしてもそうなのであろう。太陽のサクセシブも考えられる。水のサクセシブもニュートリノの様体ではないのだ。われわれがニュートリノを検出する際、非常に純粋な水を必要としたことも例外ではあるまい。次にわれわれは水の様体にも迫ることになる。電気の様体にも迫ることになるであろう。われわれは最終的に〝地球様のもの〟を目にする気がしている。一滴の光でサクセシブということも考えられる。現にわれわれの行動はそうであるのだ。まるで死体の上に成り立っているように、われわれの命は。そこに光が降り注いで、死にたい。でも死ねない。この地球を廻っている。わりとC源もN源も空気だということだ。