もともと我々は地球を使っている銀河だ

足下の地球を。なんとスケールの小さいことか。下手に体を動かすまでもない。この銀河に収まっている地球はじつに小さい。「ちたま」と呼べるほどだ。このちたまの化学を引き延ばしているのであるから、我々のスケールでは引きちぎれて当然だ。また精巧なものを無理に集中力を使って用いているコストも正当なものか、作成に無理がないかも問われるところである。銀河は平面であり、己の地域を管轄する。医療を地域でみるのであれば、光が表に出るまえに返す必要がある。われわれの円盤銀河では平面の光しか認識できない。重さが下に落ちる、とは地球の重力だけが唯一感じられることと関係しているのではないか。月面で、地球の作用を受けて実験すればまた違った結果が得られるのではないか。つまりは発生元となった星へ落ちる傾向があると。われわれのペンもflying object。宇宙際タイヒミュラーの宇宙とはわれわれのこと。高齢化した地球は子供がいない成熟した人口で満たされた宇宙となる。ある意味、法で繋がったわれわれの世界はrelatively mild indeterminaciesだ。だが、われわれの存在はそれと比べてrelatively rigid determinaciesとなる。複眼ということになる。テータリンクは掛け算系のモノイドと局所的なガロア群だけ。清楚、下品、無邪気、鍵。それ以上はない。鮮明な画像をみてる、なにも気づけなかったような。指先の感触だけが覚えてる。なにかをめくって認識したか。太い腕の感触とアートのイメージはあんだ。男でけど。吹っ飛ばされながらバランスを保つ。もっと意識しないで。それが頼っていいか。再発しそうで。土までは届いてない。それは手も届いてない。デビー夫人みたいにいいたいけど、弱気にならないで。『草憲』それはrelatively mild indeterminacies forevers。精神は声にも宿る。ただの胃酸ではない。もはやそれは体の部分だ。そして心の声とは。その酸とともに宙を舞う。世界に拡がりをみせる。だが声は親近者にしか届かないみたいだ。私の手のように。誰かが差し伸べられることを望まない。心も。誰かにとってはその母の声のように。いるべき場所は決まっている。少し清楚な格好をした唖が。白いセーター。まるで小学校の頃のように。皮パンで膝枕をしてくれるとは限らない。滴る髪に。その匂いも体の一部。もう繋がっているのだ。なにをしなくても。