慰安すなわち便器は

われわれ便器はまだ便器にすらなれていない。稼ぎたかったらいってくりょ。稼ぎたい。かわいがってやるよ。おまえの便器かしてくれるか?笑わせたいつもりが便器みたいな安心したと思ったら検察までやってくれる。検察官個人は独立したものであって過剰な罪をかぶせるものではない。亀山エンジンは笑わそうとおもったときに全点を素数密度までとばす。〜かもしれない。〜かもしれない。を繰り返し、連続∩加算になるのは幾何のおかげかもしれない。楕円銀河をくぐり抜けるとき、すべてを数値化するのは要領のいいことではない。高速フーリエ変換も十分数値であるし、ひとつの整数として十分当てはまる。楕円銀河を囲っているのはまるで人の気持ちのようなのだ。テータリンク。そんなものをたどっていって素数疎度にあたる。で、なんなのだ。そのまえにリンクしておくものもあったし、新しく作り出すべきものもあった。たんぱく質塊のような流星をデルタ関数が追う。塊は二次的に蓄積したものだ。すなわちは休んでは追いつかれを繰り返す。このたんぱく質デルタ関数で解いていく。二次的に蓄積するものではあってはいけないし、デルタ関数に濃度がうまれてもいけない。動粘性の脂肪のように。ムコ多糖。MUCUS(ムカス)ではないか。グリコサミノグリカン。これがデルタ関数なのではないか。伏っても切っても検索エンジンをよけていく。完璧に視線に入り込む不完全なもの。一本背負いの要領で入り込む。MUCUZI。MUCUZIのスピナーが九州であると知ることができるだろう。光の計量は軽いのであるのにだ。体積を広くして重力を引き抜くことができるのだろうか。ソリトンであるとも事儚い。過度保存というが、疎密はあって引きずられているということだ。特に一箇所《疎》を固定すると、それを引き伸ばしているだけだと気づくだろう。バネの要領に近いかもしれないし、一方的に追い越しているだけかもしれない。もともと《疎》であるものが追いこしているのだ。そのうちまったく《疎》のものがうまれているかもしれない。まったく《疎》のもので引きずられているなら、シーソー機構の発生を説明できるだろう。すなわち《重》のものがうまれていると。このときのベクトルは一概にはいえないが、直交重力方向だ。グリコサミノグリカンすなわちデルタ関数の生成もこうなっているなら、亀山エンジンも亀山関数系であらわせるのではないか。なんてことはないシーソー機構であるが、その生成方法として定着できるのではないか。シーソー機構プラズマであれば、取引きを再開できるだろう。慰安が便器となりえないなら甘いもの《密》はいったいなんだ。《疎》なのか。重力を失ってなんになるのか。重力はインフラではないか?シーソー機構の発生をとらえている。便器の下にはなにもない。面倒くさいだけだ。フォーカスがすでにちがっている。世界をかえる。このdeの作用はかならずあってたえることはない。便器であってかわることはない。このちがいしか世の中ではおきなくなるだろう。これがシーソー機構プラズマだ。右肩にのる赤面症。これがテレワークの正体だ。決して重いもんではないが、シーソーを作り出している。grace。そういうもんかもしれない。静岡寄りね。目の入りがアイゼンシュタイニオイドのように入っているのかもしれない。「戦ぐ」とゆうよりは「引き裂かれている」ということが、《見る》ことの原点なのかもしれない。首の高さがちがうのだ。小さいものが力をもっていることかもしれない。ニュートリノが大きな力をもっている《引きずっている》との証しかもしれない。髪と歯茎も同じ関係にあるのかもしれない。同じようにコラーゲンでできているが。作用はまったく逆のような気がする。歯茎の順序はどうであるか。安易に弱いものにあたるような気がする。吹きだまりに吹き込む風のように。ニュートリノのようなものを狙っているのだ。あるいは『無いもの』を。いつでも『無いところ』にいたがる。粘性の塊が追いつくのは、後から、だが、それはかならず追いついてくるようにおもう。人が運動すれば石油がうまれるように。それには必ず中心があり、同期でもってそれを射るのはたやすい。いつもそれにさらされる。よるねるかのように。アイゼンシュタイニオイドでそれをみるのだ。こうしてイジングモデルも発展するしかない。それはまた同期のタイミングの重みをます。まるで重力を作り出しているかのように。ヒッグスボソンをつくりだしているのだ。かならずヒッグスボソンにとらわれる作用のようだ。歯切れをいうなら当たるものが必要なのだ。それはなんなのか。ウイルスのように分離した容疑者を追うことか。容疑者はなんという。また裁判の直前になって供述を出してくるというのか。もう呪いのようにそれを追えなくなってくる。呪いは宙を舞っている。それを追うこと。まるで火災の切れのように。分離した安心感で多勢に無勢で罰せられても痛くない感じもしているようだ。『じょあわれわれがぜんぶわるいっていうのか?』そんな開き直りもあるようだ。容疑者はぜんぶで4人だ。4方向であやふやにできる、とこちらを見据えているかもしれない。まず私は容疑を固めることを怠っているのではないか。4容疑を確定させる必要がある、《関連がない》といわれて確実に容疑を実証する《確証》がない。パニックをしょうじるのは、力をしめつけるような『支え』を失ったからではないか。ツイスターのような「くびれた雑巾」のような『握るもの』さえ、「力の支え」なのだ。とくに「精神力=握力」だときく。〈絞り返すもの〉それなのだ。それこそがMUCUZIの対なのではないか。パニックだ。「パニック力」だ。亡霊がいきているのは。方向性はとくにない。ブラウン運動ともちがう。ニュートラリーノのそれのようにニュートラリーノにあたって、というか「根本に引き回されて」揺れているのだ。ムコ多糖の結晶をどうおさえるか。まさに精神だけの飛び去りなのだ。これは。だいぶ減ってきただろう。目だけがとびちるような。天には返る、とはちがう。あきらかにいくつかの方向枝がみられる。そのどれににもなれずに重力(スピナー)におさまるのか。どれにでもなればいい。スチューワーデスと宇宙船と機体だ。今も空を飛んでいるではないか。空中機体。つまり空中で工場を作り出すことをやればいいではないか。まずは動力から根本的に見直さなければならない。二人以上いる、を想像する。原料を調達しなくてはならない。まるでテレワークに紙がない、かのような。機体で木を育てればいいだろう。植樹機体ということだ。重力にとらわれている気がする。そうだ。高度は地球の重力圏内だ。そこでレオロジーもおこる。大気内地球物質レオロジーだ。「大気を結果」だと思い過ぎていなかったか。地球物質のレオロジーで決まる結果だと。そうではなく「植生」がそこにあるのだ。どの気候にも落下していかない植生が。熱帯雨林ではあるまいか。そのさきの気候まであるのか?北緯南緯0°以上の。それで飛行機を割っていこう。飛び続けて前面に二つ折りになるのは現実的ではないが、ある意味そこにとどまるのではないか。そこまでの機体のいのちとして。そしたら先端に空砲を開けて。二筒の完成だ。するとこれは植生として二機となったわけだ。このようにして空中で飛行機を無限に増やしていくことができる。バイオ機械の完成だ。とゆうことは光は粘性をもつ、ということなんじゃないか。光が運動量をもつ、とは推移的に光は粘性をもつ、といえるだろう。まったく粘性をもった光のひとつづきということもあるだろう。光の布のように。それが何枚も重なってこの世が成り立ってるということか。音を置いてきたように。わかっているのはそれはパニックということや。なにかにとりかかってきたつもりが、それが手足となる。その手足はなにかを理解することができるのだろうか。つまりは数式自体に数式が理解できるかとか。ターナリーエンジンがバイナリーエンジンを理解してはどうか。バイナリーはレスポールのような坊主を叩いた舐めたようなゴツさがある。結局バイナリーは坊主に向かうということか。バイナリーとターナリーとミューチュアルな関係というものがある。3n+2すなわち5は惰性する、とあるが、ここで5が出てくるわけだ。つまりここでquinaryも表現できるわけだ。quaternaryとquinaryの関係も気になっていた。ドルツ。つまりはドルツのようなものだ。