ジャトコロケット

理学系で理論を突き詰めていくといつのまにか工学系のことに興奮するようになった。いままで脳の中でシミュレーションしていたことが現実の世界で形を成していくことだ。元妻の父親が組合員で組合員の良くないところばかりを見てしまっていた。高い給料もらって寝てれば飯が出てくると思っている。「組合なんていっそなくなってしまえばいい」「20世紀の古い遺産だ」そんなことを考えていた。組合を張って給料を守るよりも自分の力でなんでも作れるようになった方がいい。だがもしロケット産業に車産業が手を伸ばすならば、腐っていた組合員も俄然目の輝きを取り戻すし、嫌い合っていた組合員も再び力を合わせるようになるかもしれない。ロケットパーツはそんなに量産が必要なものでもなく、もしかしたら工場としてふさわしいのはバスベースのボディーに梯子の艤装を施して消防の梯子車を作るようなモリタホールディングスみたいな会社なのかもしれない。だが宇宙全体に産業として技術を転用されるようなパーツを作っていくようでなくては我々の指も爪先も精彩を失ってゆく。それこそ組合として政治に働きかけ、「本来売れるものではない」製品を、「人の脳を操り」、「嘘を刷り込ませて」売れるように、文字通り「経済を回す」「稼がせてくれる」作業に、「人の目を盗む」ことに注力しなくてはいけなくなる。私は経済でもよく使われる「偏微分方程式の粘性解」の「収束地」を考えていた。この粘性解は、優解と劣解があり、粘性解の粘性解を取れば定義域を全域に拡げていくことができるのだ。だがつまりこのようにして定義域を拡げていったとき、定義できないのは現実の世界の上界と下界なのだ。つまり粘性解の収束地は「クリティカルリミットのない2」と言える。我々が機械を作り、デジタルに2を作ったときに、それは【現実の世界にある天気の一部である】と言える。我々はつまりスイッチがONされた機械とスイッチがOFFされた機械の我々の環境にある2分されたような天気を作ったのだ。そしてそれは作り出した瞬間から【我々の天気の一部】となるのだ。粘性解を考えたとき、我々はこのように日々天気の定義域を拡げていっているが、それは思考に留まる限り、<1であり、>0なのだ。アファインであるかといえば実際に幾何としてこの定義域、したがって値域は拡がっている。あるいはアファインとして無限小の領域を拡張している。我々が0あるいは1の値を取るときに、それは現実の世界としてこの宇宙に接続され、実行を与えるのだ。