見た目の文句は多様性の否定であり、結局このようなことはハニートラップにつながる

ニートラップ一発で手先になってくれるならこんなに楽なことはない。働いても働いてもハニートラップなら、その人の人生ではまったくない。われわれは子供たちになにも教えることができていない。監督が試合に出る出ないで、もともと友達を作りたくてはじめたスポーツが勝つとか勝たないとかの話にすり替えられるなら本末転倒ではないか。これこそハニートラップではないか。ハニートラップの人物が面接官をやって人を選ぶのに、そもそもその人に気に入られようとする社会構造がそもそも間違っている。実際に一緒に仕事するのは20代の同年代の人間であるのだから、この方たちの意見も「40円分」くらいはくみされるべきである。人が見えた世界や察知した世界はその影響を受けて変わる。その影響を大きく受ける世界こそ子供たちの世界だ。傷つけられた魂はもとに戻らない。逆に我々が生きてきた世界も。苦しみから解放されることがマイノリティーの誰かの不幸であってはならない。これがタイトルのようなことから始まっている。見た目の文句さえいわなかったら本来ずっと遊んでられるのかも、と思ってしまう。