暴力絶好ポジション

ものを作る会社にいたら要らなくてもそのものを作るようになる、それは致し方ないのであろうか。少しのキズで“全取っ替え”が必要であると。

だが、画面を覗き込んで『えっ?』とか、言ってる隙に、その作業中の姿勢を、吸い込まれるように眺めている“騒乱付和”がいる。

作業中の姿勢は暴力団の格好の餌食になるのだ。

公務員には『告発義務』というものがあって、不法行為は告発しなくてはならない。例えば従業員が別の従業員の財布を盗んだ、といって告発しなければ、それは「窃盗罪」と「告発義務違反」といって2倍の損失を生むことになる。それだけではなく、ここを暴力団にクローズされるとここで金が閉められ、人の心は失われていくことになる。iPhoneのようにいま開発が急がれて、誰もが新作を欲しがるようなものでも、それにのっかって要らないものを作るようではダメなのだ。これからのiPhoneは我々の目にやさしい真に「要らないものを作らない」が繋がったものでなくてはダメなのだ。これらすべてのものづくりをわれわれは理解しなくてはならない。われわれにとって居心地のいい場所は逆にいえば暴力絶好ポジションとなりうる。暴力団にとってみれば画面を覗き込んでいる、横のポジションは、奪われなければ「用済み」になってしまうどんな汚い手でも居座っていたいポジションであるのだ。お金を稼ぐために一度騒乱付和してしまったものは、正当化のためにまた新たな資金源を探す。それは当然さらに弱い暴力絶好ポジションを取られたものになるのだ。暴力絶好ポジションにいれば、騒乱付和は握るだけでいい。移動する騒乱付和。もはや話す言葉に意味などない。一度おいしさを見つけてしまった目は食人種だ。ものづくりとは、そうではない。いまもうはじまっているのだ。おちつける環境があってものづくりする。おちつける環境のためにものづくりする。